Funny-Creative BLOG

電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

二次創作はどうして合法にはならないのか

ちかごろtwitterで二次創作の規制に関する議論が、当の同人作者そっちのけで毎日過熱しているが、僕も一次創作やってる人間としてちょくちょく首を突っ込んで要らんことをよく言っている。

その中でふと気付いたのだが、「公式は二次創作の存在を黙認している」「法的には違法だがただちに損害を与えるものではない」というのが、容認派がよく口にする言葉だ。

考えてみればおかしな話で、どうして「問題がないものを著作権は違法としているのか」という疑問が沸き立ってくる。

二次創作を禁止する法律を著作権からなくして、誰でも自由に二次創作ができるようにすれば、問題も最初から起こらない。

どうしてそうならないのか、そうすべきではないのか、という視点から二次創作にまつわる話を個人的に調べてまとめてみた。

キャラクターの使用権利について

まず「二次創作が違法として裁判沙汰になった事例はない」という勘違いがよく見られるので、先に整理しておく。

今から60年まえとかなり古いが、バス会社が作者に無許可でキャラクターの絵を観光バスにプリントして運行を行った『サザエさんバス事件』がよく話題にあがる事例だ。
作者である長谷川町子氏は勝訴し、損害賠償もきちんと受け取っている。

サザエさんバス事件 - Wikipedia

ネットでは「ディズニーに手を出すのは危険だ」なんて都市伝説が流行っているが、実は日本の国民的アニメであるサザエさんの方がむしろヤバかったりする。
作者である長谷川町子先生は既に没されているが、作品の著作権は財団法人長谷川町子美術館に移され現在も管理されているため、死んだ人の作品だから今は何やってもいいというわけでもない。

あれだけやりたい放題だった『おそ松さん』もちゃんとフジオプロ公認だしな!

また、ポパイというキャラクターを勝手にネクタイにプリントして販売し、最高裁まで争った『ポパイネクタイ事件』がキャラクター保護を取り巻く事件としては有名だ。

「ポパイ」著作権侵害第3事件

実は著作権法上、「キャラクターそのもの」は著作物として保護されていない。
あくまで保護されるのは漫画や小説などの作品であり、キャラクターはその中に存在するイメージや表現という付随物だ。

だがこの事件では、「〝水兵帽をかぶり、水兵服を着、口にパイプをくわえ、腕にはいかりを描いた姿の船乗り〟は誰が見てもポパイだし、特定のコマのトレスじゃないけど無断複製あつかい」という判決がくだされている。

もちろんこれらの事件は被害者側が訴えを出したことによって、事件へと発展してしまったに過ぎない。
だが、「キャラクターの無断使用は公式側が本気で訴えたら負ける」というのは、噂や都市伝説でもなく判例に基づいた事実なのだろう。

なぜ無断使用が禁じられているのか

そもそも法律というものは、ないよりあった方がいい。
モノを盗むことが罪に問われない社会と、罪に問われる社会。どちらが経済的に発展し豊かになるか、というごく単純な話だ。

著作権に関しても同じ事が言えて、「なぜ無断使用が禁じられているか」と言えば、「公式側の利益にならないから」だ。

許可された副次創作物は公式に版権料を納めているため、コミカライズなどの副次創作物によって得られた利益は、公式側に還元される。
その利益はコンテンツが稼いだ総額に計上されるし、キャラクターデザインなど原作に携わったクリエイターに様々な形で取り込まれる。

「○○先生のキャラクターデザインが素晴らしいので同人誌出します!」なんていう同人作家の態度は、ハッキリ言って「あなたのものが欲しいから盗みます」という広言以外の何物でも無い。

たとえば最近では、二次創作を行っている作家に公式側が声をかけて、いわゆる公式アンソロジーという出版物を出すこともある。
そのおかげか、無許諾アニパロの書店販売も最近では滅多に見かけなくなった(代わりに大型書店が同人アンソロを置くようになっただけなのだが)

anond.hatelabo.jp

一部の出版社に限られるが、公式側は二次創作を〝黙認〟ではなく、むしろスカウトの場という〝容認〟のスタンスを取っているし、僕自身も取るべきだと思っている。

ちなみに、同人誌の大部分を占めると言われる「二次創作エロ」に関しては、問題の根ざすところがまた違って見える。

たとえば昔、人気アイドルの顔写真を、グラビアアイドルの体に貼り付けて、エロイ格好をしたアイドルの写真を捏造する「アイコラ」なんて文化があった(今もあるのかな?)
アイドルという実在の人物は肖像権で守られているので、「人の写真をオモチャにするな」と言えば即御用だが、先にも述べたようにキャラクターの人格は著作権で保護されていない。

アイコラや二次エロの問題点は、アイドルという事務所が持つ商材のイメージを損ない商品価値を下げる、業務妨害という問題点を持つものと思われる。

二次創作を合法にすることの問題

二次創作の違法性を認める法律は、大きく言って以下の二つがある。

1.明らかなキャラクターの複製を禁ずる複製権
2.著作物の改編切除を禁止する同一性保持権

「各々の二次創作がこれらに違反しているか否か」を論じる前に、まず「これらを違反とする意義について」を根本的に考えてみたいと思う。

1つ目の勝手な複製が禁じられているのは、当たり前の話で、「著作によって得られる権利者の利益を損ねる」からだ。
複製権が保護されなくなれば、例えば何が起きるか。

わざわざ個々のクリエイターに対して「代金を払って何かを制作させる」必要がなくなり、既存のものを勝手に使用すればことが足りてしまう。
儲かるキャラクターを各々で利用すればよく、新たなキャラクターを産み出す必要がなくなってしまうのだ。
当然、作品を作りだすクリエイター側も、仕事量が安くなるし勝手な無断転載を咎める根拠を失ってしまう。

しかし商業作品において、作品の著作権を作者本人が持っている保証はない

例えば漫画家がある出版社からコミックを出した場合、出版社と作品の著作権に関する契約書を結ぶのだが、ここで複製権などの権利は契約書上で出版社に委譲されるケースが多い。
それを行わなければ、キャラクターグッズや増刷を行うたびに、いちいち作者に許諾を取らなければ出版社が違法となってしまうからだ。

なのでどれだけ作品の著作権が侵害されていたとしても、作品の著作権を委譲されている出版社が動かない限り、作者本人は被害者として訴えることすら法律上不可能となる。
複製権の侵害によって不利益を被るのは出版社自身も同じだが、被害の規模が小さいからとわざわざ取り締まりを行わず黙認してしまっている。

出版社が守るべき権利の保護を放棄しているのは、単に作家の保護を体よくサボっているだけにも自分には映る。

2つ目の同一性保持権は、Wikipediaの記述を丸呑みすれば〝著作者の意に沿わない表現が施されることによる精神的苦痛から救済するため〟とされている。

同一性保持権は譲渡不可能な著作人格権に属する権利のため、書類上出版社が権利を有している作品であっても、作者不朽の権利として行使することが可能だ。

ファンがある同人誌に対して〝○○はこんなこと言わない!〟とケンカしている限りにおいて問題はないが、作者本人がもし二次創作に対して同じように思い一緒になって〝俺の○○はこんなこと言わない!〟と言ってしまったら大問題だ。
同一性保持権の侵害としてきちんと立件できてしまう。

作者が個人作家に対してこれを行ったという凡例は今の所ないが、ゲームに対して〝攻略ヒロインを勝手にデレやすくする〟という罪状で訴えられた『ときメモ事件』が有名である(ちょっと嘘を言ってます)
また、『ドラえもん最終話問題』も、実際の立件までは至らなかったが、仮に裁判沙汰になっていればこれを根拠に有罪とされていた可能性が示唆されている。

ドラえもん最終話同人誌問題 - Wikipedia


これは類似の翻案権が財産的利益を保護するものに対し、あくまで「作品を勝手にねじ曲げられたくない」という人格的利益を保護するための権利である。

pixivなどの界隈でも、他人のオリジナルキャラクタを借りるとき、「そちらの子ちょっと借りますね」と作者にお願いしてから描くのが礼儀になっているし、それを怠れば歴とした違法行為だ。

全ての創作者が尊重し、尊重されるべき権利であるにも関わらず、商業作家の作品は公共物だから権利を守らなくても良いと同人作家が当然のように認識しているのは、やや不気味に感じられる。

もし創作仲間の友人がある日プロの作家になったとき、その人のオリジナルキャラを借りるとき、同人時代と同じようにちゃんと許可を取るだろうか。
それとも他の商業作品と同じように無断でキャラを借用することが許せるのだろうか。

二次創作に被害者はいない

自分のような作品のファンには、副次創作物の購入に際して二つの選択肢がある。

一つは公式に許諾されていて、正当に許諾されて一次創作者に利益が還元されるオフィシャルなコミカライズやノベライズ作品。

もう一つは、ファンが公式に許諾を受けず自由な発想と創作性で産み出した、違法で無許諾な二次創作作品だ。

ぶっちゃけ僕はここ数年、前者を買った経験が一度も存在しない。
後者の方が面白くて見応えもあるし、種類も豊富なので自分の好みにあったものも見つけやすい。
版権元が儲かろうと儲かるまいと、二次創作の方が面白くて魅力的だから、コミカライズを買うという選択肢がそもそも存在しないのだ。

また、世のキャラクターグッズの多くは公式に版権料を納める必要があるため、商品そのものの製造コストへ更に権利料が上乗せされて若干高く値段が設定されている。
そういった文脈を無視して、公式に権利料を納める必要の無い非公式グッズが、公式グッズと同等か安価な価格で販売することは、明らかな不正競争だろう。

昨今、漫画アニメの市場規模縮小や人材不足が叫ばれ、アニメーターの低賃金問題や作家の原稿料の安さがネットのあちこちで問題になっている。
だが景気の悪い話ばかりでもない。
ニュースサイトの記事によると、同人市場の市場規模は、757億円の巨大市場でなおも増益を続けているという。

矢野経済 2014年の「同人誌市場規模」3.4%増 | ニュープリネット

この全てが二次創作というわけでもないだろうが、かなりの分率を含んでいるのは事実だろう。

本来公式の人間達が受け取るべきだった利益を、不当に奪っているという自覚を、二次創作を行う全ての同人作家は自覚すべきだと思う。

「二次創作は儲かるものじゃない」とは言うが、だからといって「一次創作は儲かっている」なんてわけでもない。

公式側の人間が行っているのは〝黙認〟ではなく無法状態の放置だ。
原作コンテンツに関わる人間として〝容認〟するか、自社のコンテンツに不正な競争を強いる競合市場として〝否認〟するか、きちんとした態度を取るべきだと愚考する。

「not for you ーお前のためじゃねえよー」

高校のころ。
僕は授業中、ノートの端っこやレジュメの裏に落書きをするのが好きだった。
描いているのは昨日見たアニメに出てきたロボットとか、買ったプラモを模写して練習したロボットとか、とにかくまあロボットばかり描いてた。
こなれてくると、たまにちょっとオリジナル要素を付け足して「オリジナルMS」とか「オリジナルオーラバトラー」とか「オリジナルガイメレフ」とか描いてた。

意外と描きながらでも授業はちゃんと聞けてるもので、というか、描いて手を動かしてないと眠かった。
寝ないための事前策として描いていたようなものだ。
でも教師からの心象はやはり悪いようで、あるとき描いている絵に目を付けた教師が、その紙を取り上げて注意をした。
そしてなんと、見せしめにと教室の掲示板にその絵を貼り付けたまま授業を続行したのだ。

「意外と上手い」と一部の同級生にはほめられたが、やっぱり大半の同級生たちには笑われた。
そりゃまあ、描いたからには人に見て欲しい。それが絵という物だ。でも別に、見せたく無い人間に笑われるために描いたわけではない。

「見て欲しくて描いたんだろ。見せてみろ。笑ってやる」

そういうスタンスの人間は、教室という狭い社会の中にもいるし、この広い社会の中にも限りなく居る。
そういった輩に、僕は、こう心の中で言い返すことにしている。

「確かに見て欲しい。でもそれはお前じゃない。お前の為には描いてない」

続きを読む

続・電子書籍の校閲編集作業にGitを利用してみる試み

前回:funny-creative.hatenablog.com

先日、「電子書籍の編集作業をgitでやってみよう」という思いつきの試みをぶちあげてみたところエンジニアサイドの方々から様々な反応を頂いてしまいました。

僕みたいな「htmlとcssは打てるけどjavaphpはからっきし」な非エンジニアには恐れ多くて萎縮してしまいそうです(していない)

協力して頂ける方の募集を行ってみたところ、業務で分散管理のなんたるかを身につけておられるエンジニアの知り合いの方にコミットしていただくことができました。

f:id:funny-creative:20160110072216j:plain

おかげさまで、編集規約や作業手順、ブランチの運用など、大まかなシステムの枠組みはひとまず確定してきています。

ただ、文章を読んだり修正してくれる肝心の作業人員が確保できない、というよくある炎上パターンに突入しかかってます。
「下読みだけなら手伝えるけど、原稿に手を出すとか、使ったことないシステムに手を出すのはちょっと・・・」という障壁が、たぶん一番分厚い問題です。

  • 「俺も手伝うから代わりに手伝ってほしい」という電子書籍界隈の方
  • 「スペルミスや誤字脱字を見つけたくて仕方無い」という校閲マン
  • 「本をいちはやく世に出すための手伝いがしたい」という有り難い読者の方
  • etc

などなど、参加申し出ていただけたら嬉しいです。
クライアントの導入方法から使用方法まで、こちらでサポートさせていただくので、何の前知識も無くて大丈夫です。
(というか前知識がないと使えないシステムを作り上げてもしゃーないので)

続きを読む

電子書籍の校閲編集作業にGitを利用してみる試み

先日、『アーマードール・アライブ』2巻の発売日を正式に発表させていただきました。

【お知らせ】『アーマードール・アライブ』2巻についてのお知らせ - Funny-Creative


記事内でも記載したとおり、まだ校閲や改稿など、編集作業が山積みを粛々と進めている最中です。
知人に下読みしてもらって矛盾点や改良点を洗い出したり、誤字脱字の山をひたすら切り崩したりと一人では大変な作業続いています。

下読みについては直接epubやテキストを送っても手伝ってもらえるんですが、細かい誤脱の修正やマークアップについては、どうしても口頭でフィードバックして解決しなければいけない状態です。
特に誤脱の指摘については、「○○ページ目の○行目に誤字があったよ」と教えてもらっても、リフローなEPUB形式のため追跡作業に難航してしまいます。

できれば直接原稿ファイルに手を入れて手伝ってもらいたいけど、複数人で1つのファイルをいじるのは難しいです。
と今までは思ってたんですが、業務で1つのコードを集団開発するエンジニアさんたちは、分散型管理システムとかいうのを使ってその問題を解決していると小耳に挟みました。

考えてみれば電子書籍って結局、xmlcssなんだし、「小説」として扱うよりは1つの「言語」として扱った方が自然な気もします。

というわけで今回、編集作業をGitプロジェクトとして行ってみることにしました。

ホスティングについては無料で非公開リポジトリが作成できるBitBucketを選択しました。
公式クライアントのSourceTreeがGUI操作できるので、使い慣れてない方に協力してもらいやすそうなので。

プロジェクトページのキャプチャは、現在こんな感じです。

f:id:funny-creative:20160104030143j:plain

現状、比較的この手の技術に明るい知人に当たってコミットしてもらってる状況です。

“本文の下読み”や“誤脱の指摘”まではお願いできても、“gitでコミットして”となると中々手を上げてくれる人が見つからないわけで・・・。

もしこのエントリーを見てくれている方の中で、面識があり、手伝っていただける方いたら教えてください。
twitterのリプでもブログのコンタクトフォームでも何でも大丈夫です。

実は恥ずかしながら僕自身、自分から始めてみたものの、Gitの扱いについて把握しきれていない部分がけっこう多くて苦戦しています。
「小説のことは自信ないけどGitなら任せろ」みたいな方に手を貸してもらえるとかなり心強いかなという心境。

僕は電子書籍の「紙という実体を持たない出版」という利点を、どこまで活かせるか活動の中で追求してみたいと考えてます。
なので「編集室という実体」もまた、電子化出来たら面白くはないかな、と思って今回実践してみることにしました。
商業活動時代は一応、ゲラとアカを使った校閲作業は経験しているので、それと同じ事を電子的にやってみるというのがまずは第一目標です。

もしかしたら思いも寄らない障害にぶち上がるかもしれませんし、Gitほど高機能でなくても充分なのかもしれません。
SubVersionでも充分じゃないかな、とは既に思ってるところなので)

ちなみにセルフパブリッシングの最大手、群雛文庫さんの方では編集作業にはGoogleドキュメントを採用されてるそうです。

www.gunsu.jp

なんでGoogleドキュメント同じように使わないのかと言うと、せっかく独立してやるからには、人と違うことをやった方が面白いかなと思ってるだけです。
当サークルの活動指針は「たのしいことがしたいだけ」なので。

他にも話聞いてみるところ、みなさん色んなかたちで編集作業のやり方を模索しているみたいです。
マージ失敗して大炎上するか、思いも寄らない福次効果を見つけられるか、まだ分かりませんが、この観測点から見える景色をセルフパブリッシング界隈にお届けできればなあとか考えてます。

(2016.01.06-追記)
さっそくお一人、Twitterで親交ある方から、参加の意思表明いただきました。
まだ3~4人分ぐらい登録枠に空きがあるので、物好きな方お待ちしています。

負けたところで失うものは何もない僕たちと『人造昆虫カブトボーグVxV』の話

世間では「カオスアニメの代名詞」として悪名高い『人造昆虫カブトボーグVxV』だが、実はけっこう趣深いエピソードも多数ある。

そもそもカブトボーグというアニメの世界観はそれほど狂っているわけではない。徹底したリアリティのもとに成り立っている。
主人公のリュウセイさんは腹の立つ相手が居れば叩き潰す、目的のためには手段を選ばない、常に最短距離で勝利をつかみにいく。

これがそこらのホビー向けアニメの主人公なら、「勝つためには何をしたっていいわけじゃない」と敵役を綺麗ごとで説得しているところだ。
だが、リュウセイさんは逆に、そんな説教に対して更に上からの説教を食らわせて怯んだ隙にぶちのめしたりする。
彼は少年向けホビーアニメという枷から解き放たれた、ナマの感情を発露するむき出しの人間性そのものなのだ。

続きを読む

「君はそのキャラクターの何が好きなの?」

※『蒼穹のファフナーEXODUS』最終回のネタバレあります※

スターシステムについて

突然だけど僕は『君が望む永遠』のキャラだと涼宮茜が好きだ
振り返ってみればわりとよくある「ツンデレキャラ」のテンプレだったわけだけど、同じキャラは古今東西一人として居ない。
彼女には彼女なりの人生があり、思いがあり、心境がある。そういった諸々を総合して好きというわけだ。

しかし、『マブラヴ オルタネイティヴ』に登場する涼宮茜という同姓同名の別人については全く惹かれなかった。
「誰あなた? そっくりさん?」といった心境だ。

ガンダムビルドファイターズ』という作品でも、歴代のガンダム作品キャラがモブキャラとして登場するが、はっきり言ってあれらもアカの他人に過ぎない。
あくまでファン向けのサービスやお遊びであって、「Gガンダムのドモンが出ているからGガンダムのファンは見るべき」とか言われても
「BFの世界観にネオジャパンもガンダムファイトもないんだから、そのキャラはドモンじゃないよね?」ってのが正直な感想である。

転生オチについて

つい先日、『蒼穹のファフナーEXODUS』の最終回を見て、久しぶりにこの疑問がわきあがってきてモヤモヤした。
最終回のオチは簡潔に言うと「メインキャラの1人が居なくなったけど転生して生まれ変わりました」という微妙にハッピーエンドと言い切れない主旨のやつだ。

ちょっと待て。

皆城総士というキャラが好きだった身としてみれば、同姓同名のキャラが出てきただけだ。
目に傷を負っていない、数年にもわたって真壁一騎と微妙な距離感を保ったまま接し続け、仲直りをして、より強い絆で再び結ばれた
そういう「皆城総士の人生」を追っていない、全くの別人がそこに存在しているだけだ。
なので僕はこの結末を死に別れとしか思っていない。

また、この辺りの問題については『蒼穹のファフナー』の1期放映当時、同時期に放映された『神無月の巫女』という作品が比較対象としてあげられる。
こちらは「生まれ変わって2人は次の人生で結ばれました」というオチなのだが、別に本編とは一切無関係な次元の話だ。

そもそも転生モノというジャンルを打ち立てたのは『僕の地球を守って』や原作版『セーラームーン』のような、記憶引き継ぎ型が主流である。
記憶を引き継いでいるからこそ、「2人分の人生を背負った人物」という設定となり、個別に分けられながらも一つのキャラとして舞台上では動くのである。

テンプレヒロインについて

とにかく自分は「ツンデレ」という属性や「容姿」とか「口癖」がキャラクターなのではなく、「人生そのもの」がキャラクターなのだと考えていることがここで分かった。

もちろんこんなの当たり前の話なのだが、どうも世の中のオタク全員が全てこういったレイヤーでキャラを見ているわけでないらしい
例えば色んな作品を横断して、似たような属性のキャラを一律で「このキャラが好き」と言っている人も多く見かける。
キャラクターの容姿さえ好きであれば、送ってきた人生や性格については一切関知しないという人も居る。
中には「声が同じなら」みたいな判定も存在する。はっきり言って彼らが見ているのはキャラではなく、演じている声優なわけだが。

僕が一次創作を自分でおこなうとき、もっとも時間をかけて頭を使っているのが、一人一人の送ってきた人生のディテールだ。
逆に言えば、二次創作というのはこのディテールの作り込みを他人にやらせて自分では行わない、見かけや属性だけの創作だと思っている。

たとえば「生徒会長、良家の生まれ、男嫌い」という三つの要素を組み合わせれば、大体同じようなキャラが出来てしまう。
送ってきた人生がどんなものか、概ね想像に難くないからだ。見かけと声しか差別化する要素が残されていない。

兵器擬人化について

また、兵器擬人化というジャンルにおいてもこの問題は見逃せない重要なファクターだ。
「人間としての人生を送ってきた少女にある日突然兵器としての記憶が刷り込まれた」のか「兵器として生まれた存在が少女の体を与えられた」のか
送ってきた人生が明確に描かれないかぎり、単なる属性を持てあましただけのアイコンだ。
見た目と声以外の何を好きになればいいというのか分からない。

二次創作について

東京の有明では年2回の巨大な同人イベントが開催され、多くのファンたちがキャラクターの二次創作に華を咲かせている。
僕も会場に毎年出向き、様々なファンアートを横目に通りすぎながら会場を練り歩くわけだが、ふと彼らに対して問いかけたくなるときがある。

「君はそのキャラクターの何が好きなの?」