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電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

これからのクリエイターに必要な「脱プラットフォーム」という考え方について

もくじ

長い前置き

こんにちは、また性懲りも無くTwitterが凍結されてしまいました。幾谷正です。

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正直、凍結も3回目ともなると「ああ、またか」って感じなんですが、めでたくブラックリスト入りしてしまったのか、プライベート用のサブアカウントも凍結されるわ、アカウントの作り直しも利かない。
そしてTwitter上ではクソゴミどもに言われ放題だわとろくな事がなく、わざわざまたアカウント作り直す意欲がほぼ完全に途絶えている感じです。

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今回の炎上の経緯と言っても「著作権侵害行為に強めの注意喚起をしたらヘイトを買って凍結された」という、まあ笑えない感じで。
言論統制じみた運営の言葉狩りに窮屈さを感じてはいたんですが、ちょっと目立ったことをするだけで有象無象から足を引っ張られるTwitterというサービスにメリットを感じなくなっている気持ちも正直あります。

これからの活動については、慌てて作成した公式サイトでご報告しています。
「幾谷先生の新刊情報はこれから一体どう追えばいいんだ!」って人はとりあえず公式サイト見といてください。

FunnyCreative | たのしいことがしたいだけ

また、長くなりそうなエントリーなどは今後もこちらのはてなブログで投稿していきたいと思います。
興味持っていただけたら「読者になる」をポチッと押しておいていただけると、たまに電子書籍の最前線で戦ってる僕の金言がながれてくると思います。

そして知人などとの交流についてはFaceBookを中心に行っていく予定です。
FB通した作家間のオフラインイベントにも積極的にしているので、アカウントお持ちの方もまだアカウント作ってない方も友達申請していただければ幸いです。

www.facebook.com

これらの詳しい活動形態については公式サイトでまとめているのでそちらもどうぞ。
公式サイトとブログをリニューアルしました | FunnyCreative


今回、一日がかりでサイト作り直したりサーバーの設定直したり、作ったまま放置してたサイトをあちこちメンテナンスしたりと結構大変でした。
それと同時に、Twitterという便利なプラットフォームに依存しすぎていた自分の作家としての怠慢と、「自分自身のドメインを持つ」というWEB戦略の重要さを再確認させられました。

前置は長くなりましたが、今回は前々から考えていた「脱プラットフォーム」という考え方についてお話しさせていただきたいと思います。

「Form and content」というとらえ方

皆さんは普段、様々なコンテンツに触れているものと思われますが、「contents」って言葉の意味を考えたことはありますでしょうか?
「contents」という英語が直訳すると「内容」という日本語に置き換わることは皆さんご存知かと思います。
では、「contents」ではないもの、「内容」の対義語については考えたことがありますでしょうか?

調べてみたところ「Form and content」という言葉が芸術分野には存在するそうで、「form」というのは直訳すれば「形式」です。

参考:Form and content - Wikipedia

  • Form :形式

作品のスタイルや使用される技術とメディア

  • Contents:内容

作品の本質、または描かれているもの

っていう感じの対比関係ですね。ただ、これだとまだ若干、ふんわりした概念の範疇を出ないですね。
ところが皆さんは、じつのところ普段「Form」というものにかなり頻繁に接しています。

例えば「Twitter」は情報を発信するプラットフォームだし、「pixiv」はイラストを公開するためのプラットフォームです。
今僕が利用している「はてなブログ」もそうだし、小説家が利用している「小説家になろう」や「カクヨム」もコンテンツを発信するためのプラットフォームです。

Twitter」というフォームに対して皆さんの「Tweet」というコンテンツがあったり、「なろう」というプラットフォームに「小説」というコンテンツがあるといった関係です。
かなり乱暴なくくり方ですが、こう考えると「Form & content」という言葉がちょっと身近に感じられるのではないでしょうか。

僕が今回話したいのは、その「platform」というものに依存する危険性についての話です。

いつまでそのクソみたいなプラットフォームにすがりつくの

「pixiv」といえば、つい先日こんなニュースがSNSを賑わせてましたね。

pixiv社長、セクハラで提訴される
news.livedoor.comwww.zaikei.co.jp

このスキャンダルを目にして「pixivなんて退会してやる!」と息巻いてるクリエイターさんは多々見かけましたが、実際完全にpixivを引き払ったクリエイターさんは少なかったと思います。

だってpixiv使うのやめても代わりのプラットフォームなんてないもんね

僕自身が「Twitter言論統制はクソだ!」と言いつついつまで経っても辞められなかったのもそうなんですが、プラットフォームが人を多く抱え、その中で情報や金銭のやり取りが完結してしまうと、その依存から脱却するのはとても容易ではないということを痛感しました。
この「クソだと分かってるけど他に選択肢のない状態」に追い込まれるのは、プラットフォームに限らず雇用関係とか出版社と作家の関係とか、色んなところで目にしますが、毎回不幸な状況しか生まないなと感じています。

僕はご存知の通り出版社の手を離れて一人で活動していますし、仕事も4回転職したり、こういう支配関係から逃げ出すことの大切さを人生を賭けて実感してきてるので、今回もまた「そろそろTwitter依存症やめなきゃなー」と腹が据わってきた感じです。

俺はTwitterのコンテンツじゃねえ!!

強すぎるプラットフォームの存在の恐ろしいところは、「Formの方がContentの内容を制限してしまう」という見えない支配関係です。

「WEBで小説書くなら異世界転生にしたら?」

だなんてフレーズ、書いてる皆さんも書かない皆さんも一度は聞いたことがあると思われます。

これ、「小説家になろう」というプラットフォームありきでコンテンツの内容が決められていますよね?

Twitterで拡散されるようなマンガ」「pixivでランキングに載るようなイラスト」「はてブを集めるようなエントリー」

これ全部、フォームの側に要請されてコンテンツが作られてしまっているという実例です。
僕たちは「表現の自由」という言葉をことあるごとに叫んでおきながら、安定や安心のために日夜自由を売り渡して表現をしています。

もちろん人気の形式を選択した方が、見てもらえるチャンスも増えますし成功の確率も高いので、悪い側面ばかりとは言いません。
しかし自分の場合、この「プラットフォームありき」という考えがとても窮屈かつ、つまらないものに感じてしまいます。
フォームがあまりに多すぎて、コンテンツを入れる枠がほんのちょっとしかないんですね。

また、この支配関係はTwitterをやってても感じることで、やはり「多くに見られたい」とか「フォロワーを増やしたい」という思いから、つい「Twitterウケしそうな言動」「より引っかかりを残せる言い方」を無意識に追求してしまい、気がつくと「何で俺はこんな無駄なことに労力と時間を費やしてるんだ?」と気がつくこと本当に多いです。
実際、小説みたいに長い時間をかけて作り上げて最後に小さなレスポンスをもらうという活動を続けてると、たった100文字程度で無限にレスポンスが返ってくるTwitterという環境は自己承認欲求を刺激するための麻薬でした。

気がつけば僕は「Twitterにコンテンツを流す人間」ではなく「Twitterが求める言動をするコンテンツ」そのものに成り下がっていたんですね。
今日一日、冷静に原稿を書いたりサイトを作り直したりしながら、そんなことをずっと考えていました。

お前に都合のいいものを用意してくれるのはお前だけだ

ちょっと前まで「Twitterにエロイラストを投稿したら凍結された!」と文句を言ってる絵師が多々見られましたが、僕はそのたびに「いやTwitterの規約に従えなけりゃ別のSNS使えよ」ってマジレスしてました。
また、僕にしろ「Twitterで凍結されないような使い方」「違反にならないような言葉遣い」をあれこれ制限されて言葉を選んでいることに嫌気がさしてもいました。

もちろん「ヘイトや差別を行わない」とか「見たくない人に見えないようにする」って努力は大事なんですが、プラットフォーム側の事情にそこまで付き合ってやる価値ってあるんでしょうか?

確かにTwitterにしろpixivにしろ、企業が事業として仕事としてやっているモノなので、社会的責務は負いますしリスクのあるコンテンツは積極的に弾きたいのが本音です。
また、自社の営利にならない営業や宣伝行為に優しくしてやるような義理も、彼らにはないのが当たり前です。
じゃあその、弾かれるようなモノを表現することはダメなのかと言えば、別にそんな話ではないのです。

自分の作りたいコンテンツにもっとも適した形式フォームを自分で作るって、実はとても大事なことなんじゃないでしょうか。
優れた絵描きが自分の絵に適した額縁を選び、展示場所を準備するのと根は全く一緒です。
先のpixivのスキャンダルを受けて、Twitterでは「今こそ脱プラットフォームして個人サイトの時代に逆行しよう!」なんて言ってるアカウント多々見かけましたが、ぶっちゃけ僕はあれ「その通りだな」と思いながらサイト作ってました。
プラットフォームが行けるところまで成長しきってきたいまだからこそ、その危険視されてたデメリットやリスクが誰にでも分かる形で顕在化して、波形のピークを迎えてきてるのが今なんじゃないかと思います。

ところで話は変わりますが、実は先日作品の公式サイトで本文の無料公開を始めてみることにしました。

armordoll-alive.funny-creative.com

作ろうと思ったきっかけは色々ありすぎて書き切れないんですが、これもまた「自分という作家にとってもっとも都合が良いプラットフォームが欲しい」という欲求を素直に形にしたものです。
このサイトの素晴らしいところは僕自身が規約を作る管理者なので、投稿してはいけないものはないですし、やっていけないことも何もないです。
自作の宣伝するのも自由なら、広告収入を得るのだって自由です。カクヨムに投稿してわざわざKADOKAWAのために広告収入をただ働きして稼ぐ筋合いはねえんだよ。

僕は幸いにもちょっとWEBエンジニアリングっぽいことが少しできるのでこういうもの作れますが、もう少しノンエンジニアな人でも簡単に作れるようなテンプレート化もちょっとしてみたいと最近は思ってます。
もともとメカトロエンジニアからWEB業界に転身したきっかけが、「これからの作家はHTMLぐらい打てないとヤバイ!」という直感に基づくモノだったので、わりとあのときの直感正しかったんじゃないかと最近は思ってます。

あ、もちろん「プラットフォームと名の付くものは何もかも捨てろ」という話ではありません。
今こうして「はてなブログ」を使って情報を発信しているのも、その優れた共有性や拡散性に重きを置いているからです。
AmazonBOOK☆WALKERから作品を引き払ってサイトで直販するなんて短絡的なことをやる必要もないです。直販自体はちょっとやりたいと思ってるんですけど。

ともかくプラットフォームの制限に支配されて自分のコンテンツの幅を狭めたり、形をねじ曲げられてしまわないためにも、「プラットフォームを使わない」という選択肢を持つことはきわめて大切です。
脱構築」「脱プラットフォーム」のクリエイティブ、皆さんも始めてみてはいかがでしょうか。

<了>

参考リンク
Twitterは言論プラットフォームたりうるか? « マガジン航[kɔː]