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電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

『美少女戦士セーラームーン』っていうアニメを全話見たんですけど、このアニメめちゃくちゃ面白くないですか?

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去年ごろ話題になってたこのブログを見て、「へーそんなに面白いんだ」ってかるい気持ちで見てみたんですよ。
『劇場版美少女戦士セーラームーンR』を。

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女児向けアニメなんて見ても泣くわけないとお思いかもしれませんが、僕はもう『プリティーリズム』シリーズのクライマックスで毎回泣き、『プリパラ』でも幾度となく泣き、最近は『ふたりはプリキュア』を全話見てボロボロに泣いたことのある僕です。
「女児アニメで泣くなんて余裕だ! 任せろ!」と泣く気満々で見てみましたが案の定ボロッボロに泣かされました

それでふと気がついたわけなんですよ。
実は僕もセーラームーンという作品はリアルタイムで見た記憶があったんですが、せいぜい妹が見ている横でちょっと見ていた程度のもので、その見ていた作品もおそらく『SuperS』とか『セーラースターズ』とかなんですね。
あ、そういえばなんですけど『SuperS』のエンディングと、『セーラースターズ』のオープニング、映像がめちゃめちゃかわいくてイイですよね。

とにかくそのぐらいふわっとした記憶しかないので、どんなキャラが居てどんな関係性で・・・というのは把握しているんですが、セーラームーンという作品をちゃんと見たことって一度もないんですね

たとえば僕たちはバラエティ番組とかで「セーラームーンが大好きで日本に来ました!」って言ってる外人が取材されてる映像を見て、「やっぱり日本のアニメは海外にも認められる素晴らしい文化だ!」とかしたり顔で言ってるくせに、その当の日本人である僕たちはこれだけ有名で海外にも大勢のファンが居るこの作品を、一度もちゃんと見たことないわけです。
恥ずかしくないですかそれ!?

というわけで、『美少女戦士セーラームーン』を1話から順番に第46話まで全話見ました。2019年に。
(しかも見放題サイトを探してもどこにも無かったので、Amazonで1話110円でコツコツ課金して5000円近く使って)

「今さら何で」と言われるかも知れませんが、劇場版Rを見た段階でここまで心動かされてキャラにときめいて、「もっと彼女たちの活躍を見たい」という気持ちにさせられてて、なんかもうそのことで頭がいっぱいになってしまったんですね。
それで全話見て勢いで見てしまった感想なんですが、なんて言うかもう、見た甲斐しかありませんでしたね・・・。

というわけで、ここからひたすら「見てこれが良かった!」って話を延々とします。

知っているだけで見たことにしてはいけない

僕もいちおう知識として、セーラームーンがどういアニメかは知っていますし、あらすじとかキャラ設定もwikipediaで読んで知っていました。
なので「この2人はこういう関係で、こういう過去があって、最後はこういう話になって・・・」という流れは一通り全部知っていたんですね。
でも、知って居るというだけで、「なぜこのアニメがここまで人気になって人々を魅了したか」の理由づけにはならないし、説明もできないものなんです。
しょせん〝知っている〟って経験とは全く違うものなんですね。

セーラームーンという作品は、うさぎちゃんやレイちゃんや亜美ちゃんやまこちゃんや美奈子ちゃんの姿を、46話かけて見続けて彼女たちのことを大好きになったという経験そのもののことなんです。
wikiまとめサイトで読んで知っただけの情報や、人から聞いただけの知識で、得られるモノってそこまで多くはありません。
ただネフライト様の存在はちゃんと見るまで全然知らなかったので、その点についてはめっちゃよかったですね・・・よくない・・・ネフライト様も蘇らせてくれ銀水晶・・・。

そして日常生活で「セーラームーンみたいな作品」とか「みたいなアニメ」って言葉、ついよく使いがちですよね。
僕自身よく使いがちな言葉なんですが、今考えると「ふざけんなバカ!!」って感じでもうおいそれとは言えません。
だってセーラムーンという作品は『美少女戦士セーラームーン』ただ一作のみで、〝みたいな作品〟なんておいそれと作れるわけがないんです。
うさぎちゃんとレイちゃんが喧嘩するシーンとか、亜美ちゃんが人付き合いの少なさからちょっとズレたことを言ってしまうとか、まこちゃんが先輩の面影を追ってしまうとか、美奈子ちゃんが愛の戦士のくせに悲恋ばっかりしてるとか・・・そういった何気ない日常シーンの全てがセーラームーンという作品を形作っているのであって、ただ〝女の子が変身して敵と戦う〟だけでは〝セーラームーンみたいな作品〟にはならないんです。

そして当時この作品が大好きだった女の子達を魅了したのは、女の子が変身して戦うという表層的な要素だけではありません。
セーラーチームの彼女たちが恋や友情に精一杯取り組み、青春を謳歌し、そして命をかけて地球のために戦う姿そのものなんですよ・・・。

僕たちはセーラームーンというアニメがどんな作品か知っていても、その作品を見たとき自分たちがどんな気持ちになるかは知らないんです。
それを知りたければ、他人の感想やWikipediaの知識をなぞるとかファンの外人のコメントを見るとかでなく、自分で今すぐ見るしかないんです。見ろ。

普通の女の子が命を賭けて戦ってるからすごい

そもそもセーラームーンという作品の何が面白いかって結局この一言に尽きるなって思うんですよ。
〝普通の女の子が命を賭けて戦うアニメ〟なんて、セーラームーン以前にも以降にもヤマほどあると思うじゃないですか。

ないんですよ(断言)

もちろん設定上そうなっているアニメや漫画はたくさんありますし、実際に命を落とす作品も多くあります。
ただセーラームーンの場合何が良かったかって、〝普通の女の子〟であることと、その子たちが〝命を賭けて戦う〟というシリアスさのメリハリがとても良かったんですね。
そもそも「最後の戦いで死ぬかもしれないから好きな男の子とキスしておいたら?」なんて、尋常な少女向けアニメで出るはずのないセリフが、当たり前のように出てくるんですよ。このアニメ・・・!

でも、最近の女児向けアニメって、やっぱりコンプライアンスとか様々な問題があって、戦ってる女の子達が自分の死を想像するような描写ってほぼないんですよ。
深夜アニメにしてもやたら勇ましく戦う女の子ばかりで、「お前自分が死ぬかもしれないとか考えたことないだろ」って言いたくなるのが話を軽くしてしまってます。
命は大事なものだからこそ、キャラはもっと殺さないと・・・!

そして、その死の重さや、死に対する哀しみやショックの大きさを作品の中で描くことも、結構忘れられがちな描写なんだと思います。
たとえば少年向けのバトルアニメでも、〝死んだと思ってたら実は生きてた〟って描写めちゃめちゃ多いじゃないですか。
もちろん、『ワンピース』ぐらいの作品だと死に対するリアクションって真剣に描写されてるんですが、大抵の作品って「ああどうせ生きてるんだろうな」ってバレバレの演出が多いです。
これってたぶん、作者が「このキャラは結局生きてることにしよう」と思って書いてると、その油断は作者を通してキャラのセリフや描写につながり、読者にも伝わってしまいます。
要するに大抵のアニメの死の描写って〝嘘の死〟だと思うんですね。
もちろんアニメキャラは実在してないし、その死も実在のものではないんですが、だからと言って死に対するキャラクターたちのリアクションが本物であればそれは〝本物の死〟になるんです。

で、セーラームーンというアニメの何がヤバかったかって、〝第45話の最終決戦でセーラー戦士達が次々と死んでいく〟んですね。
もちろんネタバレすると、最終的に銀水晶というアイテムの力で生き返りますし、実はあらすじとしてその流れについては僕も事前に知識として知っていました。
でも44話かけてずっと追ってきたセーラー戦士達が次々と戦って命を落としていくシーンはめちゃめちゃ悲しかった。もう本当につらい・・・。

dic.pixiv.net

こちらのpixivの記事にもまとまってるんですが、『当時、見ていた子供達が体調不良や登校拒否を訴えた』とのことで、アラサーのおっさんの僕も本気で「この気持ちのまま明日会社行って仕事するの絶対に無理だわ」と思いつつ会社行きました。そりゃあ小学生女児は体調崩すに決まってるでしょ・・・。

また、特にこの一連の話で特筆すべきは、セーラー戦士の仲間達が命を落とすたびに、うさぎちゃんがものっすごい本気で悲しんで泣きわめいて落ち込むのが、ほんまもう、つら・・・。
とにかく、うさぎちゃんの悲しがり方が〝友達が死んで悲しむ普通の女の子〟のリアクションだからこそ、その死が〝本物の死〟に感じられるし、だからこそ見ていて本気で応援したい気持ちになれるんです。

そして、嘘でも誇張でもなく本当に「命を賭けて戦っている」という楔をこの最終回で打ち込んだことこそ、5年も続く長期シリーズになる布石を作ったのだと思います。
たとえばその後のシリーズで「このままだと死んじゃう」みたいなセリフが出てくるたびに「マジでこいつら1回死んでるから重みが違うな・・・」と内心ハラハラさせられるじゃないですか。
実際、あらためて劇場版Rを2回目見直したとき、死に関するワードが出てくるたびに最終回の記憶がよみがえってヒヤッとするんですよね・・・もうこっちは『GANTZ』見てる気分だよ・・・。

普通の女の子が命を賭けて戦っているというメリハリがあるからこそ、何気ない日常が、かけがえのない尊い時間に感じられるわけじゃないですか・・・!
だからもっとみんなキャラを殺そう・・・!!(サイコパス

ドジでノロマで泣き虫なうさぎちゃんのことがみんな大好き

最終回の話ばかりしててもアレなので、そこに至るまでの各ストーリーの良かった点を話したいんですが、やっぱりなんと言っても月野うさぎというキャラクター像の偉大さに尽きると思うんですよね。
今でこそ当たり前なキャラクター造形になっていますが、「ドジでノロマで泣き虫で戦いに臆病な女の子」を主人公に置いたのは、もの凄い英断だったと思います。
この点についてはそもそも原作時点での良い点なのですが、アニメ化前提の作品として企画するにあたって、狙ってこういうキャラクター像に修整された側面も強いのでしょう。
実際、パイロット作品であるセーラーVと愛野美奈子の方がバトル作品の主人公然とした自立した凜々しい一人前の戦士として描かれる一方、正式な主人公であるうさぎちゃんはまあとにかくダメダメです。

そんなうさぎちゃんがなぜ主人公として女の子の憧れを集められたかって、やっぱり〝友達思いの女の子〟という一点に尽きるんですよね。
この点については劇場場セーラームーンRでめちゃめちゃ良い感じに1時間でまとめられているので・・・とにかく・・・見て・・・。

実際毎回の話を見ていく中で驚くのが、まずうさぎちゃんのコミュ力お化けっぷりで、初対面の相手にもいきなり馴れ馴れしく接していって次々とセーラーチームのメンバーを友達にしていきます。
近寄りがたい天才美少女も、不思議な霊感少女も、ケンカで追い出されて転校してきた不良少女も、憧れのヒロインの本人にも、秒で話しかけにいって十年来の親友みたいな顔をし始めます。
なんかもう、「これはうさぎちゃんを主人公として他の女の子を攻略していくギャルゲーか何かのなのでは?」と錯覚するぐらいで、人たらしの才能がありすぎる・・・。

言い方は悪いですが、この「ドジでノロマで泣き虫で何の取り柄もない私が、コミュ力だけでレベルの高い美少女たちと次々友達になっていく」っていうハーレム(?)要素が、この作品が女の子の憧れだった理由だと思います。
(なお、この路線はセーラー戦士たちから妹として扱われる小学生の等身大の少女であるちびうさにR以降では継承されていく)

そして僕もいちおう、ラノベ作家として受賞して本出してたり、最近はシナリオ学校に通って脚本の勉強したり、漫画原作の仕事もしてるんですが、だからこそ「あ、このセリフの書き方ヤバイぞ」って気付くところが結構あってですね。

特に驚いたのはやっぱり最終話で、仲間が敵の攻撃に倒れていく中、うさぎちゃんは「もうやめよう! みんな死んじゃうよ!」って真っ先に言い始めてしまうんですよね。
銀水晶というキーアイテムが敵の手に渡らないように守るため戦っているんですが、それを敵の親玉に「こんなものもうあげるから」と降参して命乞いまで始めます。
そして先述したとおり、大事な友達が敵の攻撃に倒れるたびに、膝を折ってボロボロに泣き崩れてしまうんですよね・・・。

だって、これが普通のバトルアニメなら「仲間の犠牲を無駄にしないためにも絶対に敵を倒してみせる!」とか「敵の脅しに屈したりしない!」とか言い始めるじゃないですか。
でもうさぎちゃんは〝戦うことになってしまった普通の女の子〟なんです。だから泣き言を言うし、すぐに諦めるんです。
銀水晶を敵に渡せば地球の人間が皆殺しにされると頭では分かっていても、目の前の友達が死んでしまうことに耐えられないんです。
「戦いに巻き込まれた普通の女の子が言いそうなセリフ」って何なんだよって話ですが、それでもこのアニメの脚本はちゃんとそのポリシーを保ってそういうセリフをちゃんと脚本に乗せてくるんです。

結局うさぎちゃんは仲間達に叱咤激励されて、4人の友達であり仲間を失って、たった一人で敵のアジトに向かうのですが、そこで更に思い人である地場衛(タキシード仮面さま)までも失ってしまいます。
衛の亡骸に顔を近づけるセーラームーンが、「ああ、ここでキスして不思議な力を得るんだろうなあ」とか見てたら、このセリフですよ。

「ごめん…キス、できない。…レイちゃんも、亜美ちゃんも、まこちゃんも、美奈子ちゃんも、みんな、好きな男の子とキスもできずに死んじゃったの。だから、あたしだけ幸せな気持ちに浸るわけにはいかない。ごめんね、衛さん。あたし、逃げない。まだ、やらなくちゃいけないことがあるの。見ててね、頑張るから」

強い!!!!! この子すごく強い!!!!!!

しないんですよ、キス。だって戦う女の子だから!!
45話ずっと〝戦うことにされた普通の女の子〟だった月野うさぎは、この46話で初めて〝自分の意思で戦う強い女の子〟に変身を遂げるんですよ! これが変身美少女アニメの金字塔なんですよ!!
普通の女の子の幸せを犠牲にして戦うことを決めるセーラームーンが、月の王女の生まれ変わりとして最後に覚醒する――という脚本の流れはめちゃめちゃよくでき過ぎてて膝から力が抜けました。

月野うさぎというキャラクターが人気なのって結局、「伝説的な長期シリーズの主人公だから」とか「見た目がかわいいから」とか、決してそういう表層の話ではなく、戦う決意をまとった女の子だからなんですよ。
僕たちはセーラームーンという名前だけを切って、あの有名なビジュアルや口上やポーズだけを見て、『美少女戦士セーラームーン』というアニメを知った気になっていた。

違う・・・何も知らなかった・・・うさぎちゃんがどんな悲壮な覚悟で敵に一人で挑み、人類を愛し、地球の平和を守ってくれていたことなんて・・・(心が幼女になってる)

機動戦士ガンダム』とか『ふたりはプリキュア』とか『仮面ライダークウガ』とか、長く続いている長期シリーズの第一弾を見るのが僕は結構好きなんですが、やっぱりどれを見ても「その後の全てのシリーズを続けささえていくだけのとんでもないエネルギーがある」って気付かされる作品ばかりなんですよね。
だから見よう・・・! セーラームーン・・・! 今さら古い作品だなんて思わずに・・・!!

そして僕もシナリオライターをめざして小説書いてる人間として、「もっとキャラが死ぬ話を殺せるようにならなきゃ・・・!」って新たな決意を得られた経験でした(?)
おわり。

美少女戦士セーラームーン Blu-ray COLLECTION VOL.2<完>

美少女戦士セーラームーン Blu-ray COLLECTION VOL.2<完>