ネットには〝ほならね理論〟という言葉がある。
ほならね理論とは (ホナラネリロンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
詳しい解説は引用先に任せるが、簡単に言えばクリエイターや作品を発表する人間が文句を言われたとき、視聴者に対して「自分でやってみろ」と返すことをこう呼ぶそうだ。
そしてこの〝ほならね理論〟は、発言したyoutuberがネットでネタ的に扱われることもあって、発言そのものもまるで一笑に付すべきもののように扱われている。
ただ僕は正直、この「ほならね理論は悪」という決めつけが、正直なところ全く理解できない。
だってこれ、自分では何もしないで人のやることに口だけで文句つけるような連中が、自分にとって都合が悪いから必死に「悪い言葉だ」って言い張ってるだけじゃないのか?
別に僕は「お前達にはどうせできないだろう」だなんて全く思っていないし、煽るつもりは全くない。
心から本気で「その気持ちが創作を始めるための第一歩だよ」と思って声をかけている。
僕自身も他人の作品に対して色々と不満に感じたりすることがあり、その気持ちが高じて「自分ならもっと上手くシナリオが書けるはず」と思ったことで小説を書き始め、ライトノベルの新人賞を取って商業デビューまでした。
実際、自分でやってみたことでシナリオやキャラクターを考え、魅力を伝えていく作業がどれだけ大変か思い知ったし、逆に他人の作品の粗に対してもより敏感になった。
また、最近は編集や出版という作業すら「俺にやらせろ」と思い始め、個人で電子出版をしてシリーズを続けている。
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自作の宣伝はさておき、僕は〝不満を抱く度に自分を変える努力をしてきた人間〟だ。
だからこそ思う。
お前らはなぜ何もしないのだ? と。
たとえばお金を出して買っている作品に不満があるなら、次からその作者の作品を買うのをやめればいい。
もし許せる程度の不満があるなら「次はもっとこうしてほしい」と、読者なりの純粋な思いを作者にぶつければいい。
これは作家として活動している僕自身、期待を持ってもらえるのはとても嬉しいことだと思うので、少なくとも僕は言って欲しい。
そして「この作品をどうしてもよくしたい」と思うなら、例えば自分が制作者サイドの人間になるために企業へ履歴書を送ったり、制作者にメールを送るのは、間違った行動ではない。
実際、そういう形で作品に関わり公式側になった人間というのは、創作に限らず一般の商品でもサービスでも数多い。
君に本当に相手への愛情があり、変えたいと願うなら、君は行動するべきだ。
そして、自分がお金を出して買ったわけでも、中身に触れたわけでも、ファンとして期待しているわけでもない赤の他人の作品に対して、君が言うべき言葉は何も無い。
作品がどうあるべきかは作者と読者が決めるべきことであり、君は作品にとって何の関わりもないただの他人だ。
仮に君がどれだけ賢く優秀で世の中のことが何でも分かる万能の知性があり、それを誇示したいのだとしても、読んでもいない作品がどうあるべきか、君に決める権利はない。
例えば小説を書くとか、youtubeで配信をするとか、コードを書いてプログラムを組むとか、ネットにはそういう作り出す活動をしている人たちが数多くいる(僕はこの三つを全部やっている)。
彼らはまるで当たり前のように「誰でもちょっと頑張れば簡単にできることですよ」と言うが、実際僕もその通りだと思う。やろうと思えば意外に簡単にできるものばかりだ。
だが、まだ何もしていない君たちは、まだ何もしていない人間だ。
その作り出す作業にどんな苦労があり、どんな気持ちになり、どんな問題があるか、何も知らない。
君たち無知な人間の言葉はあまりにも稚拙で現実を見ていない、見当外れなものばかりだ。
そして、それでも「俺の考えるアイデアの方がもっと素晴らしい」と本気で思うなら、ぜひ実践して、証明してくれ。
君が成功し、僕たちに道を示し、新たな可能性を切り拓いてくれることを心から望んでいる。
だが君たちは、僕たちがどれだけ期待をこめて「やってみろ」と言っても、結局いつも何もしない。
ただ世の中に溢れる作品や商品に対して、不満を並べ、自分を変える努力もせず、思い通りにならない作品とわかっていながらなぜか律儀に金だけは払い続ける。
たとえば不満を言いたくなるようなコンテンツには、わざわざ自分から触れないように努力してほしい。
たとえば改善の望めない作品に不満があるならば、自分はファンでないのだと諦めて作品から離れてほしい。
たとえばどうしても諦められず変わって欲しいと思うなら、自分で作るための行動を始めてほしい。
そして、もし君が自分を変える努力を何一つしないと言うのなら、耳と目を閉じ口を噤んで孤独に生きてほしい。