「not for you ーお前のためじゃねえよー」
高校のころ。
僕は授業中、ノートの端っこやレジュメの裏に落書きをするのが好きだった。
描いているのは昨日見たアニメに出てきたロボットとか、買ったプラモを模写して練習したロボットとか、とにかくまあロボットばかり描いてた。
こなれてくると、たまにちょっとオリジナル要素を付け足して「オリジナルMS」とか「オリジナルオーラバトラー」とか「オリジナルガイメレフ」とか描いてた。
意外と描きながらでも授業はちゃんと聞けてるもので、というか、描いて手を動かしてないと眠かった。
寝ないための事前策として描いていたようなものだ。
でも教師からの心象はやはり悪いようで、あるとき描いている絵に目を付けた教師が、その紙を取り上げて注意をした。
そしてなんと、見せしめにと教室の掲示板にその絵を貼り付けたまま授業を続行したのだ。
「意外と上手い」と一部の同級生にはほめられたが、やっぱり大半の同級生たちには笑われた。
そりゃまあ、描いたからには人に見て欲しい。それが絵という物だ。でも別に、見せたく無い人間に笑われるために描いたわけではない。
「見て欲しくて描いたんだろ。見せてみろ。笑ってやる」
そういうスタンスの人間は、教室という狭い社会の中にもいるし、この広い社会の中にも限りなく居る。
そういった輩に、僕は、こう心の中で言い返すことにしている。
「確かに見て欲しい。でもそれはお前じゃない。お前の為には描いてない」
結局あれから時を経て、僕が真剣に書くようになったのは絵ではなく文だった。
考えたロボットを絵で動かすより、物語を考えてその中で動かした方が早いと気づいたからだ。
文芸部として書いたり、ワナビとして書いたり、同人作家として書いたり、商業作家として書いたり
好きなように色んなものを書いてきたわけだけど、意外と読んでくれる人も好きになってくれる人は多く居る。
好きで書いてるものだからこそ、同じようなものが好きな人には結構刺さるように出来ているっぽい。
逆に、合わない人にはおそらくとことん合わないと思う。
最近よく、作品を評価するとき「not for me」という単語を使っている人を見かける。「自分に向けられていない」という意味だ。
これは作品が悪いわけでなく、自分に向けて作られたものでないから、意見を言いませんよという意思表示で使われる言葉らしい。
同じように作家の側も「not for you」と言うべきときは言ってしまうといい。言えなければ心の中で。
口では「色んな人に読んで欲しい」「誰が読んでも面白い」と喧伝するが、それはあくまで読者を一人でも多く獲得するためだ。
喧伝が上手く行きすぎた結果、対象としていない読者に引っ掛かってしまうこともままある。
その読者が「理解できない」「つまらない」と大声で叫び始めて消耗してしまった経験を持つ人も居るだろう。
読者だけでなく、色んな事実から、数値から、又聞きの情報から、君の作品に何かを言う人間が居るだろう。
言ってやれ。
「お前のための作品じゃねえよ」と。
言ってみたあとで、本当は誰のために書こうとした作品だったか気づくこともある。
<著作紹介>
オリジナル小説で電子書籍とか出してます
来月2016年3月には2巻発売予定です
『アーマードール・アライブ』
「滅びゆく世界、戦闘機械の宿命。
それでも私は恋をした――」