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電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

「君はそのキャラクターの何が好きなの?」

※『蒼穹のファフナーEXODUS』最終回のネタバレあります※

スターシステムについて

突然だけど僕は『君が望む永遠』のキャラだと涼宮茜が好きだ
振り返ってみればわりとよくある「ツンデレキャラ」のテンプレだったわけだけど、同じキャラは古今東西一人として居ない。
彼女には彼女なりの人生があり、思いがあり、心境がある。そういった諸々を総合して好きというわけだ。

しかし、『マブラヴ オルタネイティヴ』に登場する涼宮茜という同姓同名の別人については全く惹かれなかった。
「誰あなた? そっくりさん?」といった心境だ。

ガンダムビルドファイターズ』という作品でも、歴代のガンダム作品キャラがモブキャラとして登場するが、はっきり言ってあれらもアカの他人に過ぎない。
あくまでファン向けのサービスやお遊びであって、「Gガンダムのドモンが出ているからGガンダムのファンは見るべき」とか言われても
「BFの世界観にネオジャパンもガンダムファイトもないんだから、そのキャラはドモンじゃないよね?」ってのが正直な感想である。

転生オチについて

つい先日、『蒼穹のファフナーEXODUS』の最終回を見て、久しぶりにこの疑問がわきあがってきてモヤモヤした。
最終回のオチは簡潔に言うと「メインキャラの1人が居なくなったけど転生して生まれ変わりました」という微妙にハッピーエンドと言い切れない主旨のやつだ。

ちょっと待て。

皆城総士というキャラが好きだった身としてみれば、同姓同名のキャラが出てきただけだ。
目に傷を負っていない、数年にもわたって真壁一騎と微妙な距離感を保ったまま接し続け、仲直りをして、より強い絆で再び結ばれた
そういう「皆城総士の人生」を追っていない、全くの別人がそこに存在しているだけだ。
なので僕はこの結末を死に別れとしか思っていない。

また、この辺りの問題については『蒼穹のファフナー』の1期放映当時、同時期に放映された『神無月の巫女』という作品が比較対象としてあげられる。
こちらは「生まれ変わって2人は次の人生で結ばれました」というオチなのだが、別に本編とは一切無関係な次元の話だ。

そもそも転生モノというジャンルを打ち立てたのは『僕の地球を守って』や原作版『セーラームーン』のような、記憶引き継ぎ型が主流である。
記憶を引き継いでいるからこそ、「2人分の人生を背負った人物」という設定となり、個別に分けられながらも一つのキャラとして舞台上では動くのである。

テンプレヒロインについて

とにかく自分は「ツンデレ」という属性や「容姿」とか「口癖」がキャラクターなのではなく、「人生そのもの」がキャラクターなのだと考えていることがここで分かった。

もちろんこんなの当たり前の話なのだが、どうも世の中のオタク全員が全てこういったレイヤーでキャラを見ているわけでないらしい
例えば色んな作品を横断して、似たような属性のキャラを一律で「このキャラが好き」と言っている人も多く見かける。
キャラクターの容姿さえ好きであれば、送ってきた人生や性格については一切関知しないという人も居る。
中には「声が同じなら」みたいな判定も存在する。はっきり言って彼らが見ているのはキャラではなく、演じている声優なわけだが。

僕が一次創作を自分でおこなうとき、もっとも時間をかけて頭を使っているのが、一人一人の送ってきた人生のディテールだ。
逆に言えば、二次創作というのはこのディテールの作り込みを他人にやらせて自分では行わない、見かけや属性だけの創作だと思っている。

たとえば「生徒会長、良家の生まれ、男嫌い」という三つの要素を組み合わせれば、大体同じようなキャラが出来てしまう。
送ってきた人生がどんなものか、概ね想像に難くないからだ。見かけと声しか差別化する要素が残されていない。

兵器擬人化について

また、兵器擬人化というジャンルにおいてもこの問題は見逃せない重要なファクターだ。
「人間としての人生を送ってきた少女にある日突然兵器としての記憶が刷り込まれた」のか「兵器として生まれた存在が少女の体を与えられた」のか
送ってきた人生が明確に描かれないかぎり、単なる属性を持てあましただけのアイコンだ。
見た目と声以外の何を好きになればいいというのか分からない。

二次創作について

東京の有明では年2回の巨大な同人イベントが開催され、多くのファンたちがキャラクターの二次創作に華を咲かせている。
僕も会場に毎年出向き、様々なファンアートを横目に通りすぎながら会場を練り歩くわけだが、ふと彼らに対して問いかけたくなるときがある。

「君はそのキャラクターの何が好きなの?」