Funny-Creative BLOG

電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

プラットフォームや出版社に支配されたくないラノベ作家が自作を公開&DL販売できるサイトを自作した話

みなさん、今日もプラットフォームに支配されてますか?
電子書籍サークル「FunnyCreative」主催の幾谷正です。

  • はじめに
  • 小説家になろう』とかいうクソサイトは『小説家にしてもらおう』に改名しろ
  • WIkipediaの解説を公式サイトがわりにするのやめろ
  • 出版社は要らないけど編集はやっぱ必要
  • 自作と言うほど作ってはない自作サイトの作り方
    • 最後に

はじめに

このブログで何度かお話している『アーマードール・アライブ』の公式サイトですが、「いっそ販売までサイト内で出来るようにしてみたい」と思って色々試してたんですが、先日ようやくサイト内に作品のEPUBとPDFのデータをダウンロード購入できる販売機能を実装することに成功しました。

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ショップのページはこちら

決済部分はPaypalとStripeのゲートウェイを利用して実装しているので、これらを経由してクレジットカードでの購入も可能になってます。
そして本日、この販売機能を利用してシリーズ最新刊となる第5巻のプレリリース版を公式サイトで販売開始させていただきました!

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『アーマードール・アライブⅤ』(プレリリース版) – アーマードール・アライブ

連休前に入稿が間に合わなかったこともあり、審査に時間のかかるKindleとかBOOK☆Walkerへの登録は、まだもう少し時間がかかる予定です。
なので「いち早く新刊が読みたい!」という読者の皆さんは、ぜひこちらの公式ストアで購入してみて下さい。(せっかく作ったのに使ってもらえる機会がないと悲しいので)

こうした審査も登録も契約も必要ない、自分の裁量で好き勝手できる販路を独自に構築することの恩恵を今回は改めて感じました。

また、1~4巻までの既刊も販売しているので、今回初めて僕の作品を知った方も、良ければ試しに購入してみてください。
ちなみにKindleとかのストアでの販売価格より若干安めの設定にしているので、ちょっとだけお得です。

試しに現在販売しているストアを、印税率が高い順番に列挙してみると、以下のような感じです。



  • 約95%

公式サイトの直販ショップ
BOOTH

  • 80%

理想書店ボイジャー直販)

  • 55%

Kindleストア(Amazon
紀伊國屋書店
楽天Kobo
BookLive!(凸版印刷グループ)
Reader Store(Sony
ブックパス(au
iBooks Store(Apple

  • 50%

DLsite


っていう感じになってます。
こうしてみると、商業作家時代に10%なんてカスみたいな印税率で書いてたのがもはや信じられませんね。

最近はプラットフォームにまつわる問題の話が、ネット中のあちこちから聞こえて来ます。
例えば僕はPCゲーム大好きでsteamのヘビーユーザーなんですが、ゲームパブリッシャはsteamの取り分に不満を抱いて別のプラットフォームでの独占販売に切り替えるという流れが増えてきてるみたいです。

Epic Games CEO、Steamが収益配分をEpic Gamesストアと同等にするなら、独占タイトル販売をやめると語る | AUTOMATON

また他にも、amazonが審査を強化して成年コミックの取り扱いを急に取りやめるなんて話も聞こえてきました。

Amazonさん、「LO」に続き「月刊メガストア」の取扱を終了→もちろん理由を開示されず - Togetter

規模やジャンルの違いは多々あれど、共通して言えるのは“プラットフォーム依存のリスク”にまつわる問題じゃないかなと思います。
僕も自分がこうして小説を出版しているコンテンツパブリッシャー側の人間として、他人事じゃないなと感じるところがたくさんありました。

そもそも僕が出版社依存の商業作家をやめ、アマチュア作家として個人出版の形で作品を継続しているのも、今思い返せば出版社というプラットフォームからコンテンツパブリッシャとして問題を感じて独立するための行動でした。

僕が商業出版を脱走してからこれまでの経緯についてはこの記事でまとめてるので、詳しく知りたかったら見てください。
「幾谷正って誰?」って人のためにラノベ作家デビューして出版社に絶望して炎上して電子出版始めて個人で3000部売るまでの経歴をまとめました - Funny-Creative BLOG

そして、このソーシャルメディア全盛の時代に、あえて個を貫くことをモットーとして活動して来た僕としては、プラットフォーム支配からの脱出について、結構自分なりの考えを持つようになってきました。
たとえばゲーム開発会社がSteamをやめてEpic Gamesに移ったところで、Epicが取り分を減らして来たらまた同じことの繰り返しです。
あるいは出版社との仕事でひどい目にあった作家が、契約を打ち切って別の出版社に移籍したところで、結局移った先が本当に善良な出版社であるとは限りません。

もはやプラットフォームの支配から逃れるためには、自分以外の何者も信じてはいけません。
孤立を愛し、立ちはだかる問題を力づくで解決し、泥にまみれて地を這ってでも生き延びるしかないのです。
で、結局何をしたかというのが、冒頭でお話しした「やっぱ自作サイト作るしかなくない?」という原点回帰的な発想でした。

自作サイトなんて数十年前に流行った過去の遺物と思われている節もありますが、歴史は波形を描くように周期的に繰り返し、戦争と平和と革命の三拍子を刻み続けるのです。
支配によって築かれた平和を破壊し、個が個として生き抜いて行く闘争の時代はすでに目の前まできているのです!!

というわけで今回は、「そもそもなんで自作サイトをわざわざ作ろうと思ったのか」って経緯について、順を追ってお話ししてみたいと思います。
僕はラノベ作家という立場の視点からしか話をすることができませんが、これはあらゆるコンテンツパブリッシングに共通する部分があるかと思います。
また、「出版社と組むだけが作家の道なのか?」と疑問を持ってる作家志望者とか、実際プラットフォームを利用して不満を感じてる人にもぜひ見ていただけるといいです。
また、「自分もサイト作って見たいけど何から手をつけていいかわからん!」って人のために、簡単な作り方の手順についてもご紹介しているので、ぜひ参考にしていただければ幸いです。

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〝アイドルアニメはアイドルよりもファンの描写が気になってしまう〟タイプのオタクが選ぶファン描写がヤバかったアニメ

皆さんアイドルアニメって好きですか?
僕はそこまででもないです。

自分が誰か他人に対して熱狂的になったり好きになったりできない性格なので、楽しみ方がよくわからなかったりします。
ですがそんなことを言いつつ、ときどきめちゃめちゃ好きになるアイドルアニメがあることに気づきました。

共通点を探ってみたところ、どうも僕は「アイドルよりもそのファンたち」の描写に心を掴まれてるオタクらしいのです。
自分がなにかに熱狂できないからこそ、そんな熱狂を見せてくれる名もなき彼ら彼女らに感銘し、その感情を追体験することでアイドルのこともまた好きになっていくわけなのです。
考えてみればアイドルという存在を描く上で、アイドルをアイドルたらしめる不安の存在は置き去りにできません。
バーフバリ王が民からの信頼と忠誠を集めるからこそ王であるのと同じです。

そんなわけで、この癖(へき)に気づいたきっかけである「このアイドルアニメのファン描写がヤバイ!」という作品をご紹介してみます。

『プリパラ』ガーディアン定子

最初にご紹介するのは4年余りもの間、人気シリーズとして放映された女児向けアイドルアニメ『プリパラ』のガーディアン定子さんです。
”ガーディアン”というのは芸名みたいなもので、彼女の本名は御前定子というそうですが、4年目に入るまでこの本名は発覚しませんでした(←?)
シリーズ1年目の最初期から登場する重要なキャラクターであり、個人的な意見ですが、プリパラというアニメが4年にもわたって続く長期シリーズになったのは彼女の存在があったからこそだとすら思っています

彼女はメインキャラクターである大人気アイドル北条そふぃの親衛隊の一人として登場します。
本作の主人公である真中らぁらはソロのアイドルとして活動するそふぃさんを「自分のチームに入って欲しい」と決意して引き込もうとしますが、
身勝手な理由でそふぃ様に近づこうとするらぁらを、定子たち親衛隊は「ガーディアンシフト」のかけ声とともにバリケードを作って阻むというのが恒例の流れになっていました。

一方、そふぃはマネージャーの無茶な要求によって疲弊しており、今のままソロ活動を続けるのが本人のためにならないと親衛隊たちも気づいています。
親衛隊たちは「孤高の存在として活動を続けて欲しい」という思いから、らぁらの勧誘行為を阻み続けます。
そして問題のプリパラ第12話、1クール目の締めくくりとなる回。
らぁらが実力行使でそふぃをマネージャーの手から解放しようとすると、親衛隊たちは立ち上がり、それまでらぁらを阻むために発動してきた「ガーディアンシフト」のかけ声を、らぁらの逃走を手助けするために発動します。
あ、思い出したら泣けてきたので五分ほど待ってください・・・。

プリパラのオタクはこのシーン、思い出すだけで泣いてしまうと思います。解説だけだと伝わらないと思うので、まだ見てない方はぜひご覧になってみてください。

このシーン、一見すると“主人公の敵だったキャラが味方になってくれる”というベタな定番シーンですが、視点を変えるとまた違った見方が生じます。
親衛隊に守られるそふぃ様にとって、マネージャーも親衛隊の彼女らも「現状のままでいろ」と彼女を閉じ込める檻のような存在でした。
これは脱出の手助けをしてくれた親衛隊に対してそふぃが「あなたたちはマネージャーの味方じゃなかったの?」と聞いていることからもうかがい知れます。
しかし定子は「そふぃ様にとってどちらが幸せなのかと迷ったときもありましたが目が覚めました」と答えて、彼女を送り出すのです。

現実にもアイドルが「新しいことに挑戦したい」と言って、これまでと方針を変えたり、事務所を辞めてしまうことはよくある話だと思います。
ファンもまたそんなアイドルに対して「今のまま理想のアイドルで居続けてほしい」と、彼ら彼女らの行く手を阻んでしまうことはよくある話です。
しかしガーディアン定子というキャラクターは、「推しの幸せを思って送り出す」という素晴らしいファンのあり方を私たちに見せてくれたのです。

この回を経て主人公達は『SoLaMi♡SMILE』というユニットを結成し、以降の4年間を主人公チームとして視聴者である女児達の憧れの存在で居続けます。
物語の役割として重要であるとともに、アイドルにとってファンの存在がいかに大切かを伝える役割を持ったキャラクターとして紹介させていただきました。

少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 49-』富井大樹

次にご紹介するのはガーディアン定子のような準レギュラーキャラとしてのファンと打って変わって、レギュラーであるメインキャラの一人がファンというパターンをご紹介します。

少年ハリウッド』という作品はそもそも、ファンとアイドルの適切な距離感や、ファンにとってどんな存在であるべきかを徹底して追求してくる、リアルなアイドルの描き方をしています。
この作品におけるファンは「身勝手に自分の理想をアイドルに押しつけてくる存在」であり、なおかつアイドルは「その理想を命がけで体現する生贄」として表現しています(個人の見解です)

少年ハリウッドとは5人の男の子からなる駆け出しのアイドルグループですが、劇中にはその初代となる『少年ハリウッド』が存在し、主人公の彼らは2代目を襲名する形でデビューします。
その中の一人に富井大樹、愛称トミーというキャラクターが居ますが、彼は初代少年ハリウッドの大ファンで、「自分も憧れの初代みたいになるんだ」と目を輝かせて活動を開始します。
しかしアイドル活動の中で、自分が思い描く理想の姿と、その理想と一致しきれない自分とのギャップに悩み、苦しむことになります。

普通の美少女アイドルアニメでもメインキャラに「アイドルオタク」という設定のキャラクターが出てくることはありますが、それは「ファンの心理をつかむのが得意」みたいな長所として描かれる場合が多いです。
トミー場合も確かにファン心理の理解が得意なのですが、むしろ「その心理を理解しているからこそ、それに一致しない自分とのギャップに悩む」というハードルとして描かれていたのが印象的でした。

自分もこの作品を最初に見始めたとき、彼の存在があったからこそ、「このアニメは普通のアイドルアニメとは何かが違うな」と気づくきっかけにもなったという意味で印象的なキャラクターでした。

少年ハリウッド -HOLLY STAGE FOR 50-』カケルくんと握手した女

更に続けて少年ハリウッドの話をしますが、今度はこれまでの名有りキャラとは打って変わってたった1話しか登場しない名前もないモブキャラのファンです

彼女が登場するのは第16話「本物の握手」という回です。
この回で少年ハリウッドのメンバーたちは握手会イベントを行いますが、変則的なルールとして「町中を歩いているメンバーにばったり会えたら握手できる」というゲリライベントとして開催します。
このときイベントを主催した事務所のシャチョウは「24時間アイドルでいるように」とヒントだか何だかよくわからないアドバイスをかけます。

メンバーたちは「俺は普段こんな店には行かないんだけど、ファンは「こういう店に居てほしい」と思ってるだろうな」と考えながら街を歩き、そこには案の定ファンが待ち構えている・・・という形でストーリーは進みます。
先ほども書いた通り、ファンはいつだって身勝手な理想を求めてくる存在として描かれているのです。

イベントの終盤、主人公である風見颯(16歳)は、一人のファンの女の子に出会います。
その女の子は「颯くんと握手したくて一日中探し回っていた」と話し、心から嬉しそうに彼との握手を果たします。
ここまでなら普通の感動的なアイドルアニメなんですが、少年ハリウッドというアニメがヤベーのはここからです。
そのファンの女は、憧れの颯くんに対してこんな言葉を投げかけます。

「カケルくん。握手できないぐらいになってください。
武道館とか、ドームとか、なんか、すっごくすっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてる少年ハリウッドが……カケルくんが見たいです。
そしたら今日のこの握手が、もっともっと宝物になるから」

マジでヤベーなこの女!!!

丸一日歩き回ってやっとの思いで推しのアイドルを見つけて、念願の握手をできた矢先にこのセリフですよ。
確かにアイドルを応援するファンにとって、アイドルとどんな距離感で居たいかは難しい問題だと思います。
街を歩いていたら普通に見かけるような存在であっては嫌ですし、ばったり会ったとき理想とは全然違う姿をしていたら幻滅です。
本当は毎日会って握手をしてお喋りできたらと思う一方、日常とかけ離れた特別な存在でも居て欲しいものです。
皆のもので居て欲しいと思う一方、自分一人のものでも会って欲しいものです。

そんな矛盾した身勝手なファンの感情が、このファンの言葉と行動に集約されていると思います。

あなたは自分の憧れの人物に会ったとき「こんな簡単に会えなくなってほしい」なんて言えるでしょうか? 僕は無理だと思います。
放映後、視聴者たちは「推しにこんなこと言えるわけねえだろ・・・」「こんな圧倒的に正しいファンになれるわけねえよ・・・」と心をえぐられたオタクたちで死屍累々になっていました。
しかもこんなに凄いセリフを放ってくるキャラが、たった1話限りの名前もないただのモブファンってところが益々ヤバイと思います。
この作品に出てくるファンたちは、生まれたときから自分がファンになる存在であることを宿命づけられて生まれてきたんじゃないかってぐらいファンの才能がありすぎる・・・。

「どうすれば本物のアイドルになれるだろうか」と苦悩する少年ハリウッドのメンバーを見る一方で、我々も「どうすれば正しいファンになれるだろうか」という疑問を投げかけられるような存在がこの”握手の女”でした。

Wake up, Girls!』大田邦良

本エントリーの最後を飾るのはこいつです。

皆さんはSNSや画像掲示板を見ていて〝めちゃめちゃ汚い顔で号泣するデブでメガネのサイリウムを持ったオタク〟の画像を見たことないでしょうか?
「この汚いオタクよく見かけるけど、どんなアニメのどのシーンか知らないなあ」って人は多いと思いますが、彼こそがこの太田氏なのです。

Wake up, Girls!』はここまで上げたアイドルアニメの中でもわりと出来が良くない方のアニメで、全話見ておきながら正直あまりオススメする類いのものではないと思っています。
しかし、この作画もアイドルも曲もダンスもストーリーもへっぽこなアニメにおいて、唯一評価できると感じたのがこの汚いオタクの画像の人こと太田氏です。

そもそも太田氏というキャラクターはメインキャラみたいな顔をしていますが、話の本筋には全く絡まない〝名前のついたモブキャラ〟といった立ち位置です。

第1話でライブをするWUGのメンバーの中に、人気アイドルグループを脱退した島田 真夢の姿を見つけ、それ以来WUGのファンを始めます。
あらゆる現場に駆けつけ、大きめのイベントになれば仲間を招集して法被や団扇を自作し、献身的に彼女たちの姿を追いかけ続けます。

太田氏は担当声優である下野紘の怪演も手伝い、オタクらしいキモイしゃべり方でキモイファンのリアルを画面に焼き付け続けます。
おそらく視聴者の大半は「なんでアイドルアニメなのにキモイオタクの姿を見せられなきゃいけないんだ」って感じていたと思います。
実際、この作品の監督は露悪的な考えから「お前らアイドルオタクのリアルな姿を見せつけてやる!」みたいな気持ちで彼を登場させてたんじゃないかと疑っています。

しかしWUG1期の終盤、大舞台に立つアイドルの現場に駆けつけた太田氏は全力で応援をやりきり、最後にはあの有名な大号泣のシーンを見せつけます。
ぶっちゃけ肝心のライブシーンは作画が力尽きててかなり微妙だったので、なぜか号泣する太田氏の方がアイドルよりも作画が良いという怪現象まで巻き起こしています。

そんなネタみたいな存在でありながら、作中の彼の活躍はとても真摯で、ひたむきで、見返りを求めず、愚直にアイドルを応援し続ける素晴らしいオタクの姿そのものでした。

しかも驚くべきことに、これだけ長い時間画面に登場しておきながら、メインキャラクターであるWUGのメンバーたちのドラマに太田氏は全く介在していません。(※少なくとも1期の範囲内においては)

彼は大好きなWUGたちに名前を呼ばれることも、認知されることもありません。「いつも応援ありがとうございます」とファンの一人として握手ぐらいはできたでしょうが、せいぜいその程度です。
太田氏の人生にとってWUGの存在はかけがえの無い大きな存在である一方、WUGのメンバー達にとって太田氏という存在は単なるファンの一人でしかないのです。
両者のドラマは交差しているようでいて、ただ一方的な献身でしかないのです。

視聴者として「こんなに頑張って応援してるんだから報われてほしい」と思ってしまう一方、むしろ「現実のファンという存在は普通こういうものだ」という現実を突きつけてもいます。
太田氏は確かに見かけのキモいファンですが、もっとキモいファンは現実にたくさんいます。
アイドルにガチ恋してしまう人、認知してもらおうとSNSで痛い絡み方をしてしまう人、プライベートに踏み込んでしまう人、あまつさえ危害を加えてしまう人。
彼らは「応援するアイドルに何か返して欲しい」と見返りを求めてしまったばかりに、ファンでは居られなくなってしまった存在なのです。

しかし太田氏の姿はどうでしょう。見返りなど求めず、ただアイドル達が大舞台で成功したことに心から感動して号泣し、それだけで満たされているのです。
彼はもしWUGが握手できないぐらい遠い存在になった日には、ただ満足そうに微笑むのみでしょう。

Wake up, Girls!』というアニメはアイドルの成長物語として見れば平凡か、ややそれを下回るぐらいの完成度というのが正直なところです。
しかしこの作品を「太田邦良というファンの献身のドキュメント」として見返すと、ここまで目を背けたるほど克明にファンの姿を描いたアニメは他になく、彼の存在をもってこの作品を非凡なモノにしています。
作品本編が語られなくとも、彼の画像や姿だけが「ファンという存在を表す象徴(イコン)」として今もネットに残り続けているのは、なんだか納得できてしまいますね。

おわりに

というわけで、アイドルアニメのヤベーファンの例を思いつく限り紹介させていただきました。
他にもアニメ『THE IDOLM@STER』に出てくるプチピーマンPとか、『KING OF PRISM』に出てくるファンの女達とか、味わい深いファンの出てくるアニメはたくさんあると思います。
ですが僕が知らない魅力的なファンが出てくる作品の例を知っていたら、コメントでご紹介していただけると幸いです。

友人と二人で3日間創作以外に何もしない「創作合宿」をしてみました。

お久しぶりです、幾谷正です。

『アーマードール・アライブ第5巻』の原稿も予定より大幅に遅れてはいますが順調に進んでいます(?)
詳しい進捗は公式サイトの方で公開しているので、よければそちらもご覧下さい。

【報告】アーマードール・アライブ第5巻の進捗報告 | | FunnyCreative

弊サークル「FunnyCreative」は皆様ご存知のとおり、旧態依然とした紙の印刷や編集を必要としない、電子出版による作品の販売をモットーとする独立出版系サークルです。
文章の実制作とウェブサイトの制作などを行う僕と、イラストやデザインなどのビジュアル面を全て行うイラストレーターの友人との二人三脚でこれまで続けてきました。

そしてそんな友人と8月ごろからずっと「どっか旅行行こうぜ」と誘っては、「旅行行く暇があったら原稿やろうよ」とたしなめられるみたいな話をしていました。
お互い東京に住んでいる身なんですが、たまには東京の代わり映えのしない景色を抜け出して、景色のいいところでゆっくりしたいなーと思ってはいるものの、
僕以上に創作の鬼である友人の言うように「原稿を進めよう」という言葉も確かにその通りとうなずけます。

そしてそんな二つの折衷案として考え出したのが、「旅先の宿でひたすら引きこもって創作だけをやり続ける」をコンセプトとした創作合宿という試みでした。

元々5巻を書く上で表紙やキャラクタ設定について、綿密な打ち合わせがしたかったというタイミングでもありました。
しかしこの打ち合わせというのが中々時間の掛かる作業で、それまでも都内のコワーキングスペースや貸会議室、
茶店などを利用して打ち合わせながら作業を進めることはあったのですが、色々と問題があったのです。

  • 人の目があるので作品の内容について深く話し合うのが結構やりづらい
  • 時間に対して利用料金が結構高いのでコスパがよくない
  • お互いの部屋だと遊んでしまうし、そもそも広くない
  • 結局どこかで寝に帰る必要があるので時間に制限がある

etc...

といった具合に、都内の近場で飯を食べながら行う中途半端な打ち合わせに物足りなさをかんじていたこともあって、この企画は友人にも好意的に受け止めてもらえました。

また普通の旅行シーズンにまともなところに旅行へ行くと、宿の手配や観光地の下調べなども大変です。
しかし今回は「どこにも行かず引きこもる」という最優先の目的があるので、何の準備も下調べも要りません。
むしろ見に行きたくなるような名所や観光地があればあるほど創作の邪魔なので、逆にちょうど良いところを見つけるのも結構大変でした。

とりあえず「適度に何もない」で、なおかつ「泊まる場所自体がそこそこ楽しめる」という二つの条件で探していったところ、
栃木県にある廃校を利用して作られた宿泊施設『星ふる学校くまの木』に2泊ほどお世話になることにしました。

www.shioya-kumanoki.com

※別に栃木県に何も見るところがないというわけではなく、むしろ帰りに色々寄ってみたところ行きたい場所がたくさんあって驚きました。次回は普通の旅行で行きたい。

立地的には那須高原や日光温泉街の中間地点にあって、栃木旅行をするにはとても良いポジションだと思います。
しかし宿そのものの周辺は本当に田畑以外には何も無く、少子化で廃校になったという出自にそぐう圧倒的な何もなさでした。

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しかし中に入ってみると、まるで映画やアニメに出てくる「田舎の学校」の雰囲気をそのままに残した味わいのある施設で、初めて来る場所なのにとてつもない懐かしさを感じます。
また、図書室などで作業をしてると「学校の帰りに皆で残って課題や勉強をしていた学生時代のあの頃」みたいな気分に浸れて、作業のモチベーションもちょっと高くなったりしました。

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また、泊まる部屋の方も小学校の教室を壁で分割して二部屋にしたもので、めちゃめちゃ広々としています。
二段ベッドの反対側に畳張りのスペースがあって、そちらに布団を敷いて寝ることもできるのですが、
畳のスペースをまるまる作業場所として畳みにひたすら寝転んでダラダラしながらずっと小説を書いたり絵を描いたりしてました。

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唯一問題点だったのが、山奥だけあって電波が物凄く入りづらかった点です。
しかし視点を変えれば、このクラウド化社会においてネットワークから切り離されるというのはつまり娯楽や誘惑を完全に遮断してくれるという意味にもなります。

俗世のしがらみから完全に隔離された景色と空気の良い陸の孤島で、ひたすら気の合う友人と心ゆくまで創作活動にのめり込む。
創作活動を趣味とする僕たちのような人間にとって、この上なく贅沢で満足度の高い三日間となりました。

それとこの宿に決めたもう一つのきっかけが、地元で採れた肉や野菜を使った朝昼のメニューが非常に充実してたという点です。
1日目は普通の定食、2日目は外でバーベキューのコースを選んだのですが、どちらもとにかく美味しくて満足度が高かったです。

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肝心の創作活動についてですが、集中的にみっちり気が済むまで話し合いながら、デザインを決めたりプロットを固めたりできたおかげで、かなり大きな進捗出せました。
途中、表紙の構図について友人と意見が分かれて、「俺はこの姿勢の方がいい」「いやそれは不自然だ」と議論になったことがありました。

そこで僕は出窓になっている縁に身を乗り出して、表紙のヒロインと全く同じポーズを取りながら

「まず最初にこのキャラはこういう姿勢で窓の外を見ている。次に入り口から別のキャラが入ってきて、そちらの方を向く!
そしてこのキャラは性格上、わざわざ椅子から降りて相手を迎え入れるなんてことはしない。なぜなら人間のことをナメているから!
だから足はこういう組み方で座ったまま、首だけが入り口の方を向くからこういうポーズになるんだよ!!
あと自分でやってみて気づいたけど腰の部分に物凄くひねりが入るからポーズとして色っぽくなる!!」

とそのポーズに至るまでの経緯を含めてひたすら力説するという謎の時間が発生しました。
イラストについて拘りの強い友人も「それだけの必然性があれば納得できる」と理解して、構図の引き直しに同意してもらえました。
おかげで今回もとても良い表紙になったと思います。俺たちの創作はいつだって体当たりだ。
ファンの皆さんはぜひ期待しててください。

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話はかなり逸れましたが、結果的にこの三日間の合宿で合計3人分の新キャラのデザインと、表紙の構図、挿絵の打ち合わせが完了。
僕自身も2万字書き進めたうえにサイトのコーディング修整やプロットの成形が進んだりと、かなり良い感じに進捗が出せました。
そのうえ都会から離れた環境でリフレッシュしつつ健康的な食事と生活で心身回復できたので、疲労を残さず翌日からの仕事に戻れたので良かったです。

今回唯一の反省点と言えば、やはり二人だけだと色々勿体なかったという点でしょうか。
元々共通の友人を誘って3人で行く予定が、都合がつかず2人だけになってしまったので、部屋の広さやレンタカー代など考えてもあと1~2人は誘って良かったと思います。
ただあくまで「創作をするため」という目的があるので、一緒に行くメンバーは慎重に選んだ方がいいと思います。
もし「創作はやらないけど旅行には行きたい」みたいな人を入れてしまうと、一日中閉じこもっていることに耐えきれず遊びはじめてしまい、
その緩んだ空気が伝染して結局皆でゲームして遊んで終わってしまった・・・みたいなことにもなりかねないので要注意ですね。

逆に仲の良い友人にこだわらず、「オフ会やイベントで数回会っただけの創作関係の知り合い」みたいな人を誘っていくのも悪くないと思います。
何せどこにも行くことがないのでケンカの原因となる旅行イベントが起きる状況が皆無なので、気まずくなったりする心配がこれといってありません。
お互いに作品を見せ合って意見をもらったり、相談したり、「何度も会ってるけど創作の深い話をしたことがない」っていう相手と共同で何かしてみるのは良いと思います。

また電書界隈にはNovelJam(ノベルジャム)という小説のハッカソン的なイベントがあり、好評を博しています。
「ノベルジャムでもいいじゃないか」と言われるかもしれないですが、何より大きく違うのは「自分の作業をする」という点です。

「本当はノベルジャムみたいな合宿イベントに参加したいけど自分の原稿サボってる場合じゃねえ・・・」という自分みたいな状況の人間にとってはそっちの方が合ってるという感じです。

また次回、性懲りも無く第二回をやろうと思っているので「私も自分の進捗を抱えて参加したい」という人がいたらぜひ教えてください。
それではまた、幾谷正でした。

文化作品は人を差別するために生まれたんだから差別的じゃない作品なんてそもそも存在しねえよ、という話

ズートピア (吹替版)

ズートピア (吹替版)

  • 発売日: 2016/08/10
  • メディア: Prime Video

先日、ディズニーの傑作アニメ『ズートピア』が地上波で放映されました。
皆さんはもうご覧になりましたでしょうか?

僕は見るのがこれで3回目ですが、何度見ても素晴らしい映画だなあと思いました。

そして、改めてこう思いました。

「差別ってなんて素晴らしいんだろう!」……と。

え、何かおかしいこと言いましたか?

皆さんが「いやいやその感想はおかしい」と言いたい気持ちも分りますが、皆さん冷静になって考えてみてください。
だって、この世に差別があるからこそ『ズートピア』という素晴らしい作品が生まれたんじゃないですか

ディズニーは差別が存在するおかげで儲かってる

まず今更説明するまでもありませんが、『ズートピア』という作品は「あらゆる動物が一緒に暮らすズートピアという架空の街で巻き起こる、肉食動物と草食動物の間にへだたる偏見や差別を題材とした非常に教育的な映画です。
この作品の中で描かれる動物同士の先入観は、現実社会において見られる差別や偏見をデフォルメしたものと見られる箇所が多く、普段我々が無自覚に抱いている偏見や差別に改めて気づかされ、そこにこの作品の良さがあります。

ですがもし、この世界に差別というものが存在せず、人類は誰もがクローンで複製されたように身体的差異のない生物だったなら、この作品の良さは一切理解できなかったでしょう。
「自分と違う形状の生物と一緒に生活するなんて気持ち悪い」とすら思ってしまうかもしれません。
あるいはもし『ズートピア』に1種類の動物しか出てこなかったら、やっぱりつまらなかったことでしょう。

そもそもディズニーが差別を題材にしている作品は別に『ズートピア』だけではありません。

王子様と平民の少女が出会って結ばれて、少女はプリンセスになる……という類型の物語も、その前提には全て差別的な世界が存在しています。
そもそも王子様という存在が、絶対王政という血縁主義的な世襲制度を肯定する階級社会政治を前提としているからです。
生まれによって身分を決定され、王族という身分に生まれたものが統治者になるという王政制度は、人間みな平等という平等主義民主主義的現代社会においては悪しき風習でしかありません。
もしアメリカ大統領が「今日から王政を復活させて俺が王様になる」などと言い出したら国際社会から総スカンを食らうことでしょう。

それを知ってか知らずか、ディズニーは徹底して王族に生まれた身分の高い王子様と、平民に生まれた身分の低いヒロインが階級社会の垣根を越えて結ばれる童話ばかりをアニメ映画化しています。
だって平民と平民の恋なんて面白くないですし、王族と王族の結婚も大して面白いものではありません。
『リトル・マーメイド』はいちおう王族と王族の恋ですが、そもそも人魚と人間という人種差別を前提にしているのでやっぱり差別的ですね。

ディズニーは差別があるからこそ素晴らしい作品を作れるし、差別があるからこそ儲かっているのです。
もしこの世から差別という概念が消失すればディズニーは作品を作れなくなりますし、そもそもあらゆる創作的文化が衰退するでしょう。

実を言うと僕は「ディズニーは差別を題材にしているからダメだ!」と言いたいのではありません。
ガンダムだってアースノイドスペースノイドの民族間対立が根底にありますし、ジャンプ作品はだいたい親が凄いから子供も凄い的な血統主義的世界観の作品ばかりです。
シムーンだってシムラークルム宮国が国粋主義的思想でテンプスパティウム宮の技術を独占していたことが戦争の発端みたいなものですし(なんでシムーンの話をしたんだ)

で、色々考えているうちに「そもそも全ての文化的作品に差別は必須なのではないか」と気づき、このエントリーを書くことにしました。

俺たちは差別を消費して生きている

まず今回の話をするに当たって、「何をもって差別とするのか?」を定義しておきます。
僕は「人がどう生まれたかによって選択の自由を奪われることが差別である」と考えています。

たとえ日本に生まれたとしても「アメリカ人になりたい!」とその人が思えばアメリカ人として国籍を変えて生きる自由は存在すべきです。
あるいは男に生まれたとしても「女として生きたい!」と思えば女として生きることは肯定されるべきです。

逆に「政治家の子供として生まれた人間しか政治家になれない」とか「皇族に生まれたら皇族として生きなければならない」といった、生まれで選択の自由が奪われる社会は差別的です。
この定義に基づくと、日本という国はどう考えても不平等で差別的な社会ということになってしまいますが、れっきとした事実なのでこの定義はおおむね妥当でしょう。

他にも、例えばその人が生まれた年で「ゆとり世代」「団塊世代」と区分けし、「お前はゆとり世代だから」と決めつけることだって差別です。
「お前はA型だから」「あいつはB型だから」とレッテルをつけることだって充分すぎるほどに差別的です。
他にも「関西生まれだから」とか「片親の家に生まれたから」とか、挙げたらキリがありません。

「日本は単一民族国家だから差別は存在しない」という解釈をする人も多々いますが、むしろ日本は同じ民族同士で人を区別したがる文化だと感じます。
僕たちは差別を日常的に消費し楽しんでいる文化で生きているということを、まずはこの論の前提として理解してください。

そもそもどうして文化が生まれたのか?

次に文化という言葉についてです。
『サピエンス全史』という書籍では、人類の原初の文化作品は以下のようなものと紹介されています。

 だが虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。
聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の「夢の時代(天地創造の時代)」の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。
そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与える。

ユヴァル・ノア・ハラリ.サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福(Kindleの位置No.528-532).河出書房新社.Kindle版.

 では、ホモ・サピエンスはどうやってこの重大な限界を乗り越え、何万もの住民から成る都市や、何億もの民を支配する帝国を最終的に築いたのだろう?
その秘密はおそらく、虚構の登場にある。厖大な数の見知らぬ人どうしも、共通の神話を信じることによって、首尾良く協力できるのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ.サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福(Kindleの位置No.583-586).河出書房新社.Kindle版.

つまり太古の人類は洞窟にライオンの絵を描いて「俺たちはライオンの神様が作ったライオンの一族だ!」みたいな共通幻想を語り合い、同じ虚構の物語を信じることによって、人はめちゃめちゃ人数の多い社会を持続できるようになったというのです。
めちゃめちゃ良い本なので詳しくは自分で買って読んでみてください。
というか実は、この本を読んだことで今回のエントリーを書こうと思い立ったという経緯です。

さすがに「ライオンの神様が作った」というのはアホっぽいですが、「俺たちはサムライの国に生まれたサムライの部族だ!」とか「〇〇という神様が作った人間だ!」とか真面目に考えてる人は未だに結構多いので、この共通幻想という発明が持つ効果は未だ失われていないと思います。

そしてこの共通幻想は「同じ幻想を信じる人間同士に一体感」を与えたのと同時に、「同じ幻想を共有できない人間は仲間ではない」という排斥の壁をもまた、同時に生み出しました。
宗教という文化は異教徒を差別するために存在し、国家という共通幻想は他国を差別するために存在するわけです。
これは「良いか悪いか」ではなく、そもそも文化が人を内側と外側に区別するために生まれたものであり、それが正常に機能しているというだけです。銃が人を撃ち殺すために作られたのと同じです。

もちろん太古の人類であれば、同じ部族の中で教えられた物語がその人間の全てであり、生まれと物語はイコールです。隣の部族が「俺たちはタカの神様の作ったタカの部族だ!」と言い始めたとき「俺やっぱりライオンじゃなくてタカの作った人間ってことにしたい」と選択するのは難しかったと思います。
先にも述べたように「俺はアメリカ人になりたい」とか「俺は空飛ぶスパゲッティーの神様を信じたい」と後天的に選択できることこそが現代社会の進歩だと思います。

逆に「他国の文化に侵略されないように情報を遮断する」という戦略を取る不自由な国家も存在します。
『ローマは武力でギリシアを征服したが文化的にはギリシアに征服された』という一説があるように、文化というものは元々それぐらい共同体の存続を揺るがすものなのです。
civ5でも文化爆弾を落とすと国境が書き換えられるのでめっちゃ強いです。

平等主義は文化を破壊する

今年の四月、市長の救命のために土俵に上がった女性に対し行司が女人禁制を理由に土俵から下りるよう促したことで批判された事件がありました。
「女人禁制なんて時代錯誤な!」と憤る気持ちもわかりますが、相撲以外にも女人禁制が建前となっている土地や風習は世界にたくさん残っています。
もし「男女差別は国際的じゃない」と言って無理矢理その文化を改変するよう迫れば、それは伝統的な文化の破壊になってしまうのではないでしょうか。

www.asahi.com

他にも名古屋では名古屋城再建にあたり、エレベーターを設けないことが身体障害者に対する差別だと批判を受けています。
こんなの当たり前の話で、城というのは中世時代の文化風土を色濃く残した建造物であり、当時の文化的背景も色濃く残しています。
当時の文化を忠実に再現しようとすれば、「自分の足で歩けない人間は天守閣に上がれなくて当然だ!」という思想だってそのまま残ってしまいます。

他にも例えば、先日ある洋画を映画館で見てきたんですが、「この時代背景で舞台設定は欧州なのに、なんで黒色人種が登場するんだ?」と疑問に感じる場面に遭遇しました。
現代のポリコレ的な考え方を踏まえての措置なんでしょうが、かえってなんだか嘘くささが目立ってしまい、非常に現実に引き戻される気持ちがありました。

先ほども書いたように文化とは人を区別するために作られたもので、何らかの思想価値観人種身体的特徴などを優位に描き、他方を劣ったものとして描くことで成り立っています。
歴史的な文化とはすなわち人類社会が採用してきた偏見のリストであり、それを後生に残そうとすれば当然差別的な思想もそこには反映されています。

国際的祭典であるオリンピックだってもともとは、国家と軍事と身体が密接だった時代、「マッチョで身体健全な人間こそ素晴らしい兵士! 貧弱な人間は兵士になれない非国民!!」みたいな価値観の時代に生まれたものです。
それを今の時代まで残しておいて「あの国の人間は体格がいいから不公平だ」とか「設備の揃ってる豊かな国が強くなってしまう」とか言ってるのは甚だ疑問です。
マッチョでない人間を差別するために生まれた文化なんだから、より優れたマッチョを生み出せる国が素晴らしいってことで何の問題もないんです。

白人モノのエロ動画に「平等じゃないから」と言って黄色人種を出したり、「同性愛者も映すべきだ」と言ってホモセックスも同梱したりする必要があるでしょうか。

今これから作るものを現代の価値観に合わせるのは必要ですが、過去のものを改変して差別の歴史を無かったことにするのは文化的ではありません。
それどころか、文化に宿る精神を否定したところで「いったい何のためにその文化を残すのか」というそもそもの疑問が生じてしまうだけです。

均一で平等で万人にとって公平な文化というのは、もはや文化でも何でもないと自分には感じられます。

www.sankei.com

平等主義的な作品は不寛容な人間を差別しているだけ

文化作品は差別を普及させるためのツールであり、過度な差別の否定は文化破壊にしかならない、とこれまで述べてきました。
人は差別を生来的に求めている生物であり、差別的な要素に刺激を受けなければ作品を面白いと感じにくいのです。

そこで、「じゃあ『ズートピア』のような差別を批判する作品は、何と何を区別しているんだ」という疑問が生じると思います。

これは言ってしまえば簡単で、「何でもかんでも受け入れる平等な人間こそ素晴らしい!」という価値観を優に描き、「他人を排斥する不寛容な人間はクソだ!」という劣に描いた作品だということです。
この映画では”とある不寛容主義者”が全ての事件の黒幕であり、その人物ーーもとい動物が、勧善懲悪的に裁かれることでハッピーエンドとなっています。

これだけ自由で理想的な社会として描かれているズートピアですら、不寛容な価値観を持つことは罪であり罰せられるべきものだとして描かれています。
「俺は平等主義者だから不平等な人間を差別する!」なんて冗句がありますが、実はこの作品はそうしたダブルスタンダードを信じ込ませかねない危うさがあります。

確かに寛容であればあるほど共同体に取り込める人数は大きくなり、社会は大きくなり、国家は人口を増やし、多様な価値観が生まれます。
しかしその一方で文化は形骸化し、共通幻想は薄まり、文化が本来持つ「多くの人をまとめる」という役割は機能不全を起こします。
人は人が思い描いているほど寛容な価値観を持てはしないですし、本質的には「何か理由をつけて区別したい」という心理の方が強く働くのです。

僕自身、実家の近くは外国人が大勢移住してきている地域に住んでいたので「あの地区の外国人は体でかいし声でかいし粗暴な人多いから怖い」という印象をずっと持っていました。
そうした不寛容な考えを持つ人間を、「お前は平等主義じゃないから悪だ!」と糾弾し、排斥することは簡単です。
そうして不寛容な人間を排斥していった結果、少数の寛容主義者だけが取り残された小さな村ができあがっている可能性もあります。
もしかしたら寛容を声高に掲げる人間ほど、同じ民族思想の中で生活していて、不寛容な人間の気持ちを理解していないのかも知れません。
そんな状況で「他国の人間を国から追い出せ!」と主張する不寛容主義者が多数決で勝ってしまうのも、そう考えると自然な流れのように思えてしまいます。

「この作品は自由で平等な思想で作られた政治的に正しい作品だ!」という体裁を取ったところで、何かしらの思想は生じてしまうものです。
思想の存在しない作品なんて面白くも何ともないですし、何にも偏らず誰も悪人にしない作品というのは中々作るのが難しいモノです。

それよりはいっそ、「文化作品とは差別的なものだ。だからどんな思想があるかを踏まえるとともに、受け入れられない作品の存在を認めねばならない」と考える方が、よほど文化の未来にとって建設的だと感じます。

そしてもし「政治的に正しい作品を書かなくてはいけない」と勝手に思い込んでる創作者の人が居たら、「差別を出さなきゃ面白い作品なんて書けないんだ!」と開き直ってもらえたらと思います。

二次創作が公式にデメリットしか与えない5つの理由

花九曜印 いなご甘露煮 EO缶 #5 150g

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イナゴの佃煮で飯がうまいっ!!

こんにちは、性懲りもなく幾谷正です。

前回はTwitterという二次創作寄生虫の本拠地に火を放った結果、自分が返り討ちを喰らって凍結されてしまいましたが

参考:「はだしのゲンコラ村」を公式に問い合わせて燃やしたら僕が凍結されたという氷と炎の歌 - Funny-Creative BLOG

今回はなんと戦わずして勝つことに成功してしまいました。

togetter.com

いやまあ本当に僕は何もしてないんだけどね!!!!!!!

さて、今回は挑戦的なタイトルをつけてみましたが、そろそろ詳しく話します。
「公式は二次創作を歓迎すべきだ」という言説が世間ではまかり通っていますが、正直これは「権利侵害の盗人たちが自分たちの立場を肯定するために流した根拠のないウソだ」と考えています。

そこで今回は「二次創作が公式にとって得にならない5つの理由」と題して、これらの欺瞞を一つ一つ殴りつけていきたいと思います。

1.二次創作は公式にとっても利益になるというウソ

まず最初に断言してしまうと二次創作が存在することによって損をするクリエイターや公式関係者はかなりの数が存在します。

というのもこれは僕の経験談なんですが、実は大学生のとき僕はあるアニメにものすごくハマり、その作品のコンテンツに対して大体累計で20万円ぐらい散財する熱心さでした。
名古屋の学生でありながら夏冬のコミケではそのアニメの二次創作を買いあさり、オンリーイベントに遠征し、ファンの同人グッズや通販を手当たり次第に買いあさり・・・気づけば毎月のバイト代が吹っ飛んでいました。

ここで「おやっ?」と思われた方も居るでしょう。

そうなのです。僕が作品に対する愛情や応援として費やしていた20万円は、全て公式の許諾を受けていない二次創作に対して使っていたんです。
公式のグッズやイベントには多くて1万円も使っていませんでしたし、当然コンテンツの売り上げとして計上された額もそれに基づくものです。
その作品はすっかり続編も途絶えてしまいましたが、もし僕が公式にだけ使っていれば、他の視聴者もそうしていたら・・・と考えてしまうときがあります。
今考えてみると、自分が本当に作品のファンだったのか。ファンを名乗ることにすらためらいを覚えます。

僕は自分が「間違った熱狂」に陥ってると気づき、好きな作品の二次創作はあくまでお金のやり取りがないファンアートを見るだけに留めるよう、自制するようにしています。
しかし、”自分をファンと思い込んだ熱狂者”が間違いに気づくことは稀ですし、むしろ互いに自己肯定をし合いながら人数を増やしているのが現状です。

そしてもう一点。
損をするのは公式の人間だけではありません。
公式の許可を取ってコミカライズやノベライズ、グッズ製作に携わる人たちの利益を不当に奪っているということです。

たとえば『ガールズ&パンツァー』が、同人グッズの販売禁止を強調していることは、オタクの皆さんは既に耳にしていると思います。
これはあくまで推測ですが、この作品は舞台にしている大洗市の地元商店と協力して、作品を盛り上げてきたという経緯があります。
当然、大洗の地元商店がガルパンに関連する商品を出す際には、製作委員会の許諾を受けているでしょうし、利益のいくらかも著作権使用料として還元していることでしょう。

そんな地元商店の人たちが、ネット上でやり取りされる無許諾な同人グッズを目にしたら、どんな気持ちになるでしょうか。
残念ながら、作品やコンテンツが広く商業的に成功すればするほど、違法でアングラな同人ビジネスというのは不要なリスクを増大させ足を引っ張る要因にしかならないのです。

許諾を得て利用料を払って使っている人がいる以上、それを意図的にやらないというのは、犯罪者の心理と変わりありません。
どうしてもグッズを作りたいなら、地元商店と同じように公式から許諾を得て正々堂々とやるべきではないかと思います。

また、「同人グッズは公式の利益を奪うけど、同人誌は誰の利益も奪っていない」という考えは、作品に関わる一人一人のクリエイターの存在を無視した、想像力の無い人間の考えだと思います。

僕がラノベ作家だった頃、知り合いの中には原作付きの作品、いわゆるノベライズを仕事として受けている作家に何度か出会いました。
本来オリジナル作品で得られる印税は10%ですが、原作付きの作品は5%しかもらえず、残りの5%は公式側に納められるという条件になります。もはや消費税の方が多いのです。
しかも原作サイドから監修や指示が入るため、全く自由に書けず「オリジナルより大変だ」と愚痴をこぼしているのも聞こえました。
それでもノベライズが売れれば作家は利益を得られますし、公式にもいくらかお金が入ります。コンテンツの存続のために彼らが人知れず苦労しているのは事実です。

そんな事情を知ったうえで、「自由に書かれた同人誌の方が公式のコミカライズより面白い」という、心ない言葉を言う人を見たらどう思いますか?

繰り返し言いますが、同人作家は公式のイメージなど守る必要がありませんし、著作権使用料を納める必要もありません。
正当な利用料を払ってきた人間が居る以上、彼らは利用料を踏み倒している盗人に過ぎないのです。

2019.06.21追記

こちらの話を具体的な統計データをベースにご説明します。

xbusiness.jp

f:id:funny-creative:20190621223734j:plain
こちらのサイトで紹介されているデータによれば、同人市場は2012年から2016年の5年間で約80億円の市場成長を見せています。
特に伸びがめざましいのが、印刷費や配送料のかからない電子市場の成長によるもので、全てが二次創作でないにしろ、かなりの割合が含まれているものと思われます。

www.ajpea.or.jp

f:id:funny-creative:20190621223749j:plain
それに対し、商業出版のコミック市場は同じ5年間でおよそ300億円の市場縮小を起こしています。
もちろん景気の悪化や娯楽費の減少などの要因はあるでしょうが、先ほど紹介しましたとおり、同人市場は増益しているにも関わらずです。

例えば本来支払うべき著作権利用料が支払われていたり、あるいは競合するコミカライズ作品の売り上げが商業出版が独占していたならば、これほどの減益は起きなかったでしょう。
あるいは二次創作を行っている作家たちが商業作家となって出版社の利益に貢献していたのなら、減益どころか同人誌と同様に増益していたことすらあり得たかもしれませんね。

2.二次創作は作品の宣伝になっているというウソ

これも僕の経験談ですが、ネットやSNSで自分の作品を宣伝するのはとても難しいことです。
目にする誰もが僕の作品やキャラクターのことを誰も知りませんし、知ってもらわなければなりません。
商業作家として書いていた時代も、同人作家として一次創作を出している今も、その点については変わりがありません。

ですが、「既に知られているキャラクタ」「既に知られている作品」の宣伝であれば、その難易度は大きく下がるでしょう。
普通にTwitterを利用していれば、人気作品や人気キャラの漫画、イラスト、同人誌が無数と言って良いほど流れてきます。
それに対して、出たばかりのまだ誰にも知られていない作品の宣伝が流れてくることはごく稀です。

「二次創作を描かなければ誰にも見てもらえない」「一次創作なんて投稿しても誰も興味を持ってもらえない」
そんな被害妄想に捕らわれてしまっている作家は少なくないでしょう。
出版社やゲーム会社は「SNSで作品の宣伝をするのは難しい」と言っているのをよく聞きますが、その難易度を上げているのは誰なんでしょうか。

少なくとも僕自身は、いつもこういった恐怖や被害妄想に耐えながら、歯を食いしばって自作の宣伝をクリエイターとしてやってきましたし、これからも続けます。

もちろん、二次創作される側の作品やコンテンツにとっては無料で宣伝がしてもらえるようなものですし、それを止める理由はないでしょう。
とはいえ、「俺たちは宣伝をしてやってるんだから著作権侵害ではない!」という開き直りは、くだんの漫画村が取っていた態度となんの変わりもありません。
再三書いている通り、彼らは漫画村と同様に「著作利用料」という本来払うべき金銭を不当に踏み倒して営利を得ている事実をお忘れなく。

また、二次創作のムーブメントが公式側に及ぼす影響はとても大きく、最近では「二次創作されやすいキャラを出そう」「このキャラは二次創作受けしないから出さない」といった考え方をするクリエイターも多く見られます。
「二次創作されればヒットする」という狭窄な考えにとらわれて、多様性に欠けた均質で似たようなゲームやキャラが作られてしまう原因の一端はここにあります。
出版社やゲーム会社といった企業の広報力の不足はこうした他人任せな考えでやってきたことが原因の一端にはあるでしょう。

そして、ファンアートと称して自分の同人誌を宣伝したいだけの人間はよく目に付くようになりました。
「自分の同人誌さえ売れれば、原作に悪いイメージを持たれても、他のファンが不快になっても関係ない!!」と豪語する二次同人作家は、特に女性向けでは多く見られます。
「二次創作してもらえるようなキャラクターさえ作れば売れる!」などという低い志でポルノじみた魅力のないキャラクターをひたすら押し出し、結局、キャラデザインを盗用した同人作家だけが売れて原作はろくに売れず終了。
もともと成功している作品と、それに寄生するイナゴたちだけが勝ち続け、気づけば有名な作品とその二次創作しか目に入らない囲い込みができているわけです。
売れない作家は全員商業をやめてFGOや艦これの二次創作をするのが正解って話ですね。

この点については次の章でもう少し掘り下げて話をします。

3.二次創作は将来の作家を育てるというウソ

tkw-tk.hatenablog.jp

まずこちらの調査によると、漫画家として本を出している人は2010年で6000人ほど居ると言われています。
対して、最大の同人イベントであるコミケには4万8千件のサークル応募があるそうです。
もちろんこの全てが二次創作ではありませんので、割合を計算してみます。

http://ascii.jp/elem/000/001/606/1606680/ascii.jp

こちらの調査によると、6~7割が二次創作を出しているとのことなので、およそ30,000人の二次創作者が居ると言われています。
一次創作で申し込んでいるのは1割ほどとのことなので、およそ4800人ぐらいのアマチュアでオリジナル創作をしている人がいる計算になります。

世間ではよく「二次創作は優れたクリエイターを育てる土壌になっている」と言われますが、一体この30000人のうちのどれほどが、プロの作家になると思いますか?
仮にある日いきなり二次創作が禁止されでもしない限り、この3万人は将来もずっと二次同人作家を続けるでしょうし、辛くて大変で儲からないプロの作家になんて絶対にならないでしょう。

また、二次創作という安易な道に流れるのは漫画家や作家だけではありません。
「人気アニメの絵を描く仕事がしたい」と思ったら、アニメーターになったりゲーム会社に入ったりする必要はありません。同人誌を出せば欲求は満たされます。
好きな作品のコミカライズやノベライズをする作家になりたければ、商業作家になって出版社とコネを作って仕事をするなんて遠回りもしなくていいのです。
具体的なデータを見つけることはまだ出来ていませんが、「二次創作が存在したことでクリエイターになった」人数より、「二次創作があるおかげでクリエイターにならずに居られる人」の方がずっと多いと思います。

これは経験談ですが、僕は作家として大学のころから今までに、色んなクリエイターの人たちと会ってきました。
8年前に二次創作をしていた人たちは、本業のかたわらずっと二次創作だけを続けていますし、そこからプロになったという例は正直一人も見ていません。
一方で僕は、一次創作だけを8年前からずっと続けてきましたし、「二次創作に育ててもらった」なんて全く感じたことがありません。

また、このデータでは可視化されていませんが、最近は電子同人という媒体も活発です。
僕自身、電子書籍のみに活動の形態を絞って作品をだしていますが、印刷料というコストのかからない電子媒体は利益をだすことがかなり簡単です。
口で言うだけでは説得力がなさそうなので、ちゃんと客観的に証明可能な具体的な数字を出してみたいと思います。

www.dlsite.com

ちょうど良い例があったので、こちらのDLsiteで販売されている「艦〇れ」なる作品を元ネタにした、おそらく二次創作と思われる作品を販売しているサークルを例に取ってみましょう。
この「艦隊ジャーナル」というシリーズは毎回1000DLほどされており、総集編は3000DLぐらいされている人気シリーズで、既に第17号まで出ている人気シリーズのようです。
DLsiteの販売料率をもとにExcel使ってこのシリーズが累計幾らぐらいの利益を得ているのかガチで計算してみました。

f:id:funny-creative:20180620235656p:plain

はい、二次創作で2100万円の収入だそうです。

第1号から今まで4年掛かっているみたいなので、単純に年間500万円ほどの収入を得ているようですね。
立派なプロの二次同人屋と言って差し支えないのではないでしょうか。
ちなみに合間合間に出しているオリジナル作品は200部ぐらいしか売れていないので、こちらを専業にするのは無理そうですね。
これを「非営利なファン活動だ」と言う人が居るなら、一度「営利」という言葉の意味を辞書で引いてみることをオススメします。

おそらく、商業媒体でプロとして艦〇れのコミカライズを担当してきた作家達の誰よりも、この人が一番多く稼いでいるのは間違いないでしょう。

togetter.com

yzr500.exblog.jp


一方で、同じ2014年に商業媒体で公式のコミカライズ作家として漫画を描き始めた漫画家が田中謙介公式の横暴で相次いで打ち切りにあっています。
これに対して無許可で好き勝手やってた同人作家は年間500万円の収入です。
あまりにアホらしすぎて、一体誰が「プロになって商業作家になろう」だなんて思えるんでしょうか。
これはかなり極端な天と地の例ですが、「商業の都合に振り回されたくない」という消極的理由から「二次創作で同人をする」という選択肢に流れている作家はかなり多いと思います。
せめて一次創作をしろよって話なんですが、さっきも言った通りそっちは大変で儲からないので、簡単に儲かる二次創作に流れますよね。

電子書籍は儲かるというのは間違いありませんが、こうした二次創作の電子販売で稼ぐ人間が増え続けることが、日本の創作の未来にとって健全なあり方なのでしょうか。
彼らをクリエイターだと認め、10年後漫画家の数が半分に減り、二次同人作家の人口が2倍に増えている、という将来像もこのままでは現実的にあり得る未来です。

もちろん一次創作がなくなれば二次創作もできなくなりますが、元ネタの作品は海外から輸入するという手も存在します。
現状、『アズールレーン』のような海外手動のコンテンツが日本で受け入れられるような例も増えてきていますし。

海外から作品を輸入し、その非許諾な商品を作って営利を稼ぐ・・・なんて、まるで数年前までのどこかの海賊版国家の有様ですね。

4.二次創作は創作のスキルを高めるというウソ

これは僕が一次創作者として感じていることですが、創作においてもっとも難しい作業はキャラクターや人物を作る過程です。

どんな作品のどんなキャラも、最初に目にするいの一番は読者にとって”単なる他人”です。
その他人を、どうやって読者に共感させ、理解してもらい、受け入れてもらうかが、作家としての腕の見せ所であり、全ての創作はこうした「他人を他人じゃなくする一連の作業だ」と僕は考えています。
(※ もちろん他のパターンもあると思います。あくまで僕のばあい)

その一番重要で難しい過程をすっとばして、いともたやすく「受け入れられるキャラを使える」のが二次創作の利点です。
そんな楽な創作ばかりしてきた人間が、果たして作家としての実力を養うことができるのでしょうか。

これに関しては『猫神やおよろず』とか『夢喰いメリー』みたいな「大人気東方同人作家が描くオリジナル作品!」みたいなやつを見て、面白いと思えるかどうかご自身で判断していただければと思います。
また先ほど例に挙げた艦隊ジャーナルを出されている同人作家さんが、一次創作では二次創作の10分の1ほどしか売れてない、みたいな点からも推察できることと思います。

また、これは数値として表面化していませんが、「作家の著作権意識やモラルの低下」という問題もあると思います。
日常的に他者の著作権を侵害し、トレスやパクリを平気で行い、「訴えられなければセーフ!」と豪語する自称クリエイターはたくさん見られます。
彼らが仮に商業作家やゲーム会社のスタッフとしてプロになったとして、その瞬間いきなり正しい著作権意識が身につくなんてことあり得るのでしょうか。

「公式がトレスしていたことが判明!」なんてニュースが日常的と言っていいレベルで各所から聞こえてきますが、元をたどっていけばそうした低下したモラルや「訴えられなければグレー」という甘い同人意識のクリエイターがそれだけ跋扈しているだけでしょう。
僕のようにプロ意識の高いクリエイターが個人でも稼げてしまうのは、逆に言えばそれだけプロのレベルやモラルがアマチュア以下に落ちているだけだと僕は感じています。

2019.06.20追記

このブログを読んだ読者の方から、興味深い記事のことを教えていただきましたので、関連してご紹介したいと思います。

news.nicovideo.jpnews.denfaminicogamer.jp

あの『ドラゴンボール』の立役者である元集英社(現在は白泉社)の編集、鳥嶋和彦氏ですが、こちらの対談でコミケについて以下のような発言を残されています。

Q.持ち込みを待つよりも、同人誌などを出している人をスカウトするのが新人の発見には手っ取り早いと思いますが、それでも持ち込みから新人を発掘する理由はなんでしょう?

鳥嶋氏:
 じつはコミケに興味を持ちまして、堀井雄二さんと取材に行き、記事ページも作ったことがあります。コミケのパンフレットに「ジャンプ」というロゴも載せ、コミケのファンから大ブーイングを買ったんですが、そこで何名かスカウトし、事後に打ち合わせをしました。その結果、コミケにいる人たちはぜんぶダメだと解りました。

 なぜかというと、好き勝手に描くことはできるけど、直しができないんですね。ということはプロに向かないんですよ。
 直すというのは、一度描いたものを、読者の目線に近づけて繋げるということです。ということは、読者に繋げられない作家であり、それでは原稿料がもらえないということですね。

 非常に厳しいことを言うようですが、基本的にコミケのマンガは、人のキャラクターに勝手に乗っかり、ごっこ遊びをしているだけです。

このコミケのマンガは、人のキャラクターに勝手に乗っかり、ごっこ遊びをしているだけという発言は、僕がこちらの記事で伝えたかったことを経験者の目から非常に端的に表していただけています。
僕は別に編集者というわけではありませんが、いちおう元プロの作家として、こちらの発言については大いに同意させて頂きたいところです。

5.二次創作は作品のイメージを損なわないというウソ

皆さんはアニメ『パラッパラッパー』のOPである『LOVE TOGETHER』という楽曲にどんなイメージを持たれていますか?

皆さんは『ロックマン8 』のテーマ曲である『ELECTRICAL COMMUNICATION』という楽曲にどんなイメージを持たれていますか?

ロックユニットであるCOMPLEXの楽曲『BE MY BABY』という楽曲にどんなイメージを持っていますか?

ファンが他人の著作を利用して作った二次創作が、原作のイメージを上書きしてしてしまって、二度と消えない状態にならないと断言できますか?

ちょっとこの例えはあまりに極端な例なので卑怯かも知れませんが、分りやすく言ってしまえばこういうことです。
作家やクリエイターが苦労して作品を生み出すのは、お金や名誉や地位ではなく、「見る人に与えたいイメージ」が存在し、それを伝えたいからです。
それを無思慮で、身勝手で、作品をオモチャにして遊ぶことしか考えていない、作家の苦労など味わったことのない人たちが、あまりに簡単に台無しにしてしまえるのが情報化社会の恐ろしさです。

ネットの発達によって、作家と読者が双方向に情報をやり取りできるようになってしまった今、読者の発信した情報が作品に「なんの影響も与えない」と言い切ることは決してできません。

これは単純に小話なんですが、以前Twitterで「アズールレーンには艦これの愛宕みたいなショタ好きのキャラがいない」とかよく分らないことを言い出す同人作家さんを目にしました。
僕は艦これの本編でその愛宕という名前のキャラが、年下の少年に変質的な愛情を抱くシーンは見たことがありませんし、そもそもそんな描写をされるような年下のキャラが本編に登場した記憶もありません。
あの人達は一体何を見てそんな存在しない設定を事実だと思い込むに至ったのでしょうか。恐ろしい話です。

「作者と読者がみんなでコンテンツを作り上げる」という時代は、同時に「誰もがコンテンツを簡単に書き換えられてしまう」という恐ろしさも同時に併せ持っています。
人間の頭というのは意外と単純にできていて、一度刻みつけられたイメージというものはそう簡単に変えることができませんし、都合良く忘れさせることは誰にもできません。

僕がなんで漫画のコラを無邪気にアップロードする無垢な加害者たちに怒りを抱いたのか、そろそろ察してもらえたのではないでしょうか。

このあたりはわりと「お金を使わないでオモチャにできるフリー素材」と見なされていることが原因かもしれません。
「きちんと許可を取り、著作利用料を払う」という当たり前のマナーが共有されれば、作品が誤ったイメージで毀損されることはなくなるのではないでしょうか。

本当に作品を尊重していて、イメージを傷つけるつもりもなく、原作者に貢献したくて二次創作がしたい本物のファンなら、「許可を取れない」と感じるはずがありません。
もし逆に「許可を取れるわけないだろ!」と言い出す人がいたら、その人は間違いなく作品のイメージを毀損している自覚がある人なので、聞く耳を持たないのが正解だと思います。

まとめ

「二次創作に甘くしたところで原作サイドにとって何の得もないし、作品を傷つけられるし、作家も減る一方ですよ」という正論を長々と語ってきましたが、ここで一つ疑問が残ります。
どうしてこんな明白な事実をきちんと指摘して、批判する言葉を、本来作品や作家を守るべき立場にある公式や出版社が主張してこなかったのか、という点です。

おそらく公式サイドの中には「二次創作を禁止することでファンに嫌われたら困る」と弱腰な態度を取っている場合も多いでしょうし、それが二次同人作家の増長を促した側面もあるでしょう。
しかし、これは大きな勘違いだと思います。
二次創作を使って金儲けしたいだけの違法業者と、二次創作しか買わない自分をファンだと勘違いしているアホ共は、どれだけ切り捨てても作品の売り上げには何の影響もありません。

最初にあげたウマ娘が二次創作を禁止したことについて「同人誌が出せないなんて価値がない!」みたいな物言いをしている人をTwitterで多く見受けます。
そんな副次物にたいしてしか興味を感じていない人間を作品のファンと同じに考えてはいけませんし、そういった「ファンのふりをした盗人たち」を増長させてきた現実にそろそろ向き合うべきタイミングではないでしょうか。

二次創作を禁じたところで、むしろ公式の出す商品やグッズや書籍を買い求めるファンは増えるでしょうし、作品に携わるアニメーターやプロの作家に対する敬意も取り戻せることでしょう。

俺にマウントを取ってきた二次同人イナゴどもを一人残らず滅ぼすまで幾谷先生の戦いは続く!!!!!

「幾谷正って誰?」って人のためにラノベ作家デビューして出版社に絶望して炎上して電子出版始めて個人で3000部売るまでの経歴をまとめました

なりたい自分にプリズムジャンプ! 幾谷正です。

最近なんかTwitterとかブログとかを見てると、「幾谷正ってなろう作家がまたなんかやってる」だとか「炎上芸人が何かやってる」みたいに言われてるのをよく見かけます。

念のため強調して言っておくと、新人賞でデビューして商業出版したことがある元ラノベ作家で、現在も個人出版の形で作家活動を継続しています。

ただ、どうもGoogleで幾谷正で検索すると上の方に出てくるのが、穴抜けだらけになった憶測だらけのまとめ記事とか

togetter.com

あとはどこの誰が書いたかわからない3年前のブログとか

jeek-miscellaneous.hatenablog.com

あとは商業作家時代に出した書籍が引っかかるだけで、僕がどういう経歴の人間で今何やってるかとかサッパリ認識されてないみたいです。
本人が発信している一次情報より、第三者の憶測の方がSEO的に高くなってしまうって、情報社会のあり方としてなんなんすかね。

ただ、SNSでいちいち「俺はなろう作家じゃねえ!」とか言って回ってるだけで自分の情報を発信してこなかった自分もよくないので、ちゃんと事実に基づいた本人の自己紹介を書いておこうと思います。
そして出版業界に色んなことが起きてますが、「僕が新人作家としてデビューして商業出版に失望するまでの3年と、電子書籍に活路を見出して個人活動を続けてきた3年」を自分自身の視点で振り返っておくのは、後に続く人たちにとっても意味のあることだと思って書きます。
まあ本質的には自分語りがしたいだけなんですけどね。

2011年9月:第一回講談社ラノベ文庫新人賞優秀賞受賞

当時、某愛知某名古屋の某国公立の某工業大学の大学生だった僕は、大学サボって書いてたライトノベルを新人賞に送って受賞してデビューしました。
(当時はネットで名乗っていたファニー・ベルというハンドルネームをペンネームにしてました)
受賞した作品のタイトルは『純潔戦記ドウテイオー』なんてヒドイもので、高校のときネタで書いてたWEB小説を書き直したら意外と面白く書けちゃったって感じです。

lanove.kodansha.co.jp

ちなみに受賞するまでに新人賞に応募した回数は約20回、一次落ちした数も20回。
才能はないかもしれないけど努力して技術を磨き上げて人に認められたって経験を得て自信を持てたのは良かったです。

2011年12月:デビュー作『神童機操DT-O phase01』発売

こうして『純潔戦記ドウテイオー』は『神童機操DT-O』なんていう、まあ当たり障りのない感じのタイトルに改題されて出版されます。

僕は「インパクトがなくなるからタイトルはそのままの方がいいのでは?」って提案してたんですが、担当編集の人が「読者が書店で注文するとき恥ずかしい」とかよく分からないことを言われたので大人しく従いました。
講談社ラノベ文庫はその後「ビッチ」とか「少女の奴隷」とかタイトルについてる本を出してるんですが、男性を貶す単語はダメで女性を貶す単語なら良いってことだったんでしょうかね)
ペンネームも「自分で”ファニー”なんてイタい」とか色々言われて、今の幾谷正っていうペンネームを五秒で考えて使うことにしました。

このときの僕はまあ「実績のある編集さんが言うことだから信じて従おう」とか考えてる甘っちょろい学生でした。
それとちょうどこのぐらいの時期に川原礫先生のようなWEB小説デビューの作家さんが増え始めて「もう新人賞なんて取っても意味なくね?」って言われ始めていたタイミングでもありました。
最近ネットを賑わせてる出版業界の怠慢だとか作家が育たないだとかの問題は、偏差値60ぐらいある人間が作家活動1年もやれば理解できてたんですよね。
「ああ6年経った今でも変わってないし、むしろ予想してたより悪くなってんな」といった心境です。

2012年11月『DT-O』第3巻で完結

というわけでデビュー作として出したDT-Oですが、1年で3巻目を出したところで完結。まあ事実上の打ち切りです。
第一回の募集とか創刊記念パーティーとかで「ちゃんと完結まで出して作家を育てる!」みたいな景気いい言葉を信じてたんですが、信じたやつがバカでしたね。
基本的に出版社というものは自信満々で何か言うときまず間違いなく根拠のない見栄だけで喋ってるので極力信じないように皆さんも注意しましょう。

「打ち切りのショックはつらい」なんて一般論としてよく言われますが、やっぱり自分のなかで作り上げてきたモノをたくさんの色んな人に協力してもらって世に出して、結果その全ての期待に応えられないまま強制的に終わらされるって人格を否定されるぐらいのキツさがあります。
僕も当時完全にメンタルをやらかして、飯が食えなくなり胃薬浸りになって体重が48㎏まで落ちたりしました。

ちなみにこのとき死に絶えたメンタルは『プリティー・リズム~オーロラドリーム』との出会いによって作家活動を再開できるまでに全快したので皆もプリリズを見よう。

2013年~2014年次回作執筆したり卒業研究したり就活したり

kiichiros.hatenablog.com

こちらの調査結果によるとデビュー3年間で半数のラノベ作家が消えていくそうですが、僕の場合はデビュー作が打ち切られたあとも「今度は打ち切られないものを!」と執念を燃やしてしぶとく書き続けてました。
ただ、書き始めてから完成するまでに1年、編集部のゴタゴタで待たされてもう1年と合計2年間作品が出せなかったので、復活までに時間はかかりましたし、復活したと同時に炎上して燃え尽きたんですが。

またこのとき、「打ち切られないために売れそうな流行に沿ったモノを書くべきだ」と色んな人に言われたんですが、「誰でも書けるものをわざわざ書くために俺は何年も努力したわけじゃない」と突っぱねて、2作目も大好きなロボットモノで再挑戦することにします。
ここで折れてたら2作目自体出せてなかったと思うので意地を通して正解だったと未だに思ってますね。
過去のメールを確認したところ、2012年10月にはプロットが通っていて、2013年8月には完成原稿を編集に送っています。
ただ僕は2013年3月に留年しまくった大学を卒業するため、「足りない単位の取得+研究論文+就職活動+新作の原稿執筆」という四重苦状態に突入します。
今まで色んな仕事してきましたが、正直このときよりキツい状況に陥ったことって人生でない気がしますね。学生と違って社会人は労働基準法で守られていますし←何言ってんだお前

そんな忙しい状況で、再起の希望をかけて書き上げた一作なので、物凄い熱量をこの新作に込めてましたし、”自己顕示欲”とか”金目当て”とかが目的で絶対に出来ることじゃありません。
自己顕示欲を満たすならもっと簡単に満たす方法は幾らでもありますし、金が目的なら書いてる時間でコンビニバイトした方がよほど効率的に稼げます。
一度も何かを作り上げたことのない人間に、「目立ちたいだけだ」とか「金儲けのためだ」とか揶揄されるのは、今でも本当に腹立ちますし傷つきますね。
閑話休題

このときかなり揉めたのが「イラストレーターを誰にするか」という問題で、編集は「候補を考えておくので原稿が完成したら決める」と約束してくれてました。
愚直にこの言葉を信じて書き上げたものの、編集は誰一人具体的な名前を挙げることもないまま3ヶ月が過ぎ、やっとのことで上がってきた名前も、正直全くロボットの描けなさそうな人ばかりでした。
(一人に至ってはロボモノのイラストで物凄いヤバいクオリティのものを出した過去がある人だったので、言うまでもなく適当に選んだのが分かりきってました)

このとき僕はてっきり「文章はできてるんだからあとイラストさえあればいつでも出せる!」と短絡的に考えてたんですが、商業出版というのは刊行スケジュールとか編集部都合とか色々あって、個人で同人誌を出すような単純に進む問題ではないというのを理解できてなかった感じです。
ただ、一刻も早く新作を世の中に出したかった僕は、焦りに焦って自分でイラストレーターの候補を探して提案するという作戦に出ました。

卒論の合間を縫ってpixivを検索しまくり「この人どうですか!?」って感じのイラスト候補を10人分ぐらい探しては投げてたんですが、「有名じゃない」とか「実績がない」とか色々と理屈をつけて却下されていました。
ちなみに、そのとき名前を挙げたイラストレーターさんの一人が、去年講談社ラノベ文庫の作品でイラストを担当されてたみたいなので、僕の送ったリストは編集さんが後々有効活用していたみたいです。
また、「実績がない」と却下された絵師さんの何人かは、別のレーベルや書籍で商業デビューされているみたいです。

そうは言っても自分の担当編集はまあ、分かりやすい肩書きや知名度や経歴を重視するタイプの人みたいで、有名なイラストレーターを上げてみたものの、今度は「相手が人気過ぎて忙しくて断られた」という返事が相次ぎました。
知名度にこだわるんだったらもっと早く探してオファーしとけよ」って話なんですが、この辺りは編集の無能さ問題というより、講談社という会社の体質の問題もあるのかも知れませんね。

そんな状況がしばらく続いて、知り合いの作家さんと相談していたんですがーー

「艦これの艤装を描けるぐらいのレベルの同人作家を虱潰しに探してるけど、知名度がないって蹴られちゃって」
「じゃあ艦これのイラストレーター本人に打診すればよくね?」
「それだわ」

って軽いノリで思いついた案を編集にぶん投げてみたところ「これぐらいの知名度ならOK」と快諾をもらって、ようやく話が前に転がり始めました。
皆さんもご存知のとおり、これが焼却炉にぶち込まれるためのベルトコンベアが稼働し始めただけとは当時想いもしませんでした。

2014年3月刊行予定日がやっと決まる

ようやく刊行予定日が決まり、発売を間近に控えた僕の頭は「何が何でも打ち切られないようにする」という目的だけで頭がいっぱいでした。

このとき知り合いの作家さんから、今まで気にしたことのなかった「刷り部数」「配本数」みたいな数字の重要さを教えてもらっていた僕は担当編集にそのあたりの数字を色々と聞きまくっていました。
刷り部数は「前作のデビュー作が打ち切られた」という負債のせいでかなり削られていますし、配本数も後で知った話ですが、とうてい打ち切りを免れるような数字ではありませんでした。
新人が育たないという実情の裏側には、こういう「本を出せば出すほど実績よりも作家の名前に負債が溜まる」という出版業界独自の慣習があるんだと思います。
僕がどれだけ頑張って前作より良い物を書いたとしても、営業や書店員がそのがんばりを知ってくれているわけではないですし、頑張りを知っているはずの編集にも刷り部数を変える権限はありません。

具体的に言うとデビュー作『DTO』の1巻は20,000部刷りの10,000部売れ。
『アーマードール』1巻の刷り部数は半減して10,000部の刷り部数になっていました。
デビュー作はレーベルの創刊記念という事情から戦略として多めに刷っていたそうですが、「新作は前より面白く書けた」という手応えを感じていた自分にとって半減という数字は結構ショックを受ける部分がありました。
また、3年の時間が経ったことで書店自体の数が減り、なろう小説やWEB小説に人が流れて棚面積が減ったこともあって、苦戦を強いられることは目に見えていました。

ちなみに先に結果を書いておくと発売日に配本されたのは5,000部で、最終的に売れたのは3,500部。
知人の作家にこの数字を見せたところ「この配本数の時点で打ち切りが決まっているようなもの」とのことでした。

ただ配本に関しては「流行のジャンルに沿ってる」とか「有名な絵師が描いてる」というだけでかなりプラスに働くので、自分の場合「有名なイラストレーターの名前に頼る」が打ち切りを免れるための唯一にして絶対の条件となっていました。
おそらくこれ以外だと「そもそも講談社ラノベ文庫とかいう下位レーベルで本を出さない」か「自分の書きたいものを書くのを諦める」の二択ぐらいしか方法論はないと思います。
講談社ラノベ文庫は創刊から現在まで、早期完結しなかった作家は一人も居ないようなので、後者を選んだとして後悔が2倍になっただけだと思われます)

ど素人からはよく「面白いモノさえ書けば重版されるし打ち切られない」とかアホみたいなお花畑理論をぶつけられるんですが、「じゃあこの世の全ての打ち切り作品はつまらなかった」と言うつもりなんでしょうか。
もしラノベや漫画を心から好きになった経験のある人間なら、そんな言葉に首を縦に振るとは思えません。あるいは売れた作品だけしか消費しないタイプの人なのかな? まあいいや。

とにかく「お前ら編集部は当てにならないからイラストレーターに金積んで土下座して宣伝してもらうしか作品継続の手はない」というような事をできるだけ丸めた言葉にして編集に伝えつつ、刊行のときを待ちわびていました。
このとき僕は新卒で入った機械設計の会社で働き始めて一年目ぐらいだったんですが、会社の昼休みのたびに工場の裏手で携帯をかけて「まだ宣伝の話進んでないんですか!」と編集に文句言う謎の人になってました。

2014年4月 田中謙介氏ね

「艦これのプロデューサーからNGが入ったので、宣伝はできないし名前も出せない」

この絶望的な連絡が入ったのは、発売日の差し迫った1ヶ月前のタイミングだったと思います。
正直僕はこの時点で「打ち切りが確定した」と確信し、かなり絶望していました。

大げさに聞こえるかも知れませんが、ライトノベルというのは書くのに何年かかろうと勝負のタイミングは発売後1週間だけ。
その発売日までにどれだけ売れるための下地を作れたかが全てですし、最近では「発売日を迎える前に打ち切りが決まった」なんて実話も聞こえてくるぐらいです。

実はこの時点ではまだ出版契約書を交わしていなかったので、今考えると僕が打てた最善の手は「契約不履行により出版契約を白紙に戻して刊行自体を差し止める」だったと思います。
というか当時でもこの選択肢は浮かんでいたんですが、「出版社に迷惑をかけてはいけない」なんていう一銭の得にもならない有情を持ってしまったばかりに判断を誤りました。

また、編集の「無策で突撃したのち玉砕せよ」みたいな態度にも相当腹を立てていたんですが、もう一つ本当にクソだと思っていることがあります。

皆さんも考えてみて欲しいんですが。
例えば僕がフリーの作家として、KADOKAWA系列のレーベルで仕事をして本を出していたとします。
そして「今度講談社で仕事をして本を出すことになりました。その宣伝をTwitterでやります」と言ったとき、KADOKAWAの編集が「他社との仕事の宣伝なんかするな!」と指示してきたとします。

これ、圧力じゃなかったら一体何だと言うんですか?

別に絵師本人が自分の意思で「お前との仕事は宣伝しても何の得にもならないから絶対に宣伝しない」と断ってきたなら、「うわ頼む人間間違えたわ」と自分の判断を反省することもできました。
でも、フリーの人間に対して仕事を依頼しているうちの1社にすぎない人間が、まるで雇い主か何かのように他社との仕事に口出しをするというのは、信じがたいタブーだと思います。

ただ僕は「艦これという仕事によって有名になってファンを持っている一人のイラストレーター」に対して、イラスト以外での宣伝などといった形での作品全体への助力を求めていました。
しかしネットの誰もがイラストレーターを「艦これの持ち物」として捉えていたし、僕のことは「艦これの持ち物を勝手に使った作家」と見なされているようで、全く話が噛み合いませんでした。
運営は圧力をかけた結果、運営側は雇用関係なしにイラストレーターの独占に成功しており、ファンも余計な仕事を受けて新規イラストが滞らなくてなったので大喜びです。
イラストレーター自身はフリーという立場にありながら1社の仕事しかできないという束縛状況に陥り、この炎上以降他社の仕事が一切来なくなっています。
例えば出版以外の業界なら、フリーのエンジニアに対して「お前はうちのライバル会社の仕事を受けるときは名前を変えろ。実績として公開もするな」なんて指示を出すことあり得ないと思います。

実は非常にわかりにくい話なんですが、艦これの運営はフリーのイラストレーター個人に対して仕事を制限するという形で圧力をかけ、その圧力に僕は仕事先として巻き込まれたって感じですね。
「艦これの公式イラストレーターにオファーを投げるより、艦これで同人誌出してる人にオファーした方がまだ安全だった」と正直今では思っています。こんな例もあるけど。

本来商業の仕事って、それを実績として他の会社からも声が掛かり、クリエイター個人の価値があがり、単価や仕事の数も増えていくモノだと思っていました。
ただ現状の出版業界はむしろ逆で、公式の仕事はすればするほど会社の都合に巻き込まれて仕事が制限され、二次創作をして名前を売る方がよほど自由に作家活動ができる仕組みになっているみたいです。
(※ 後にイラストレーターは本当に運営会社の社員として雇用されたみたいですが、なんていうか最初からそうしとけとしか言いようがない)
【艦これ】コニシ氏としばふ氏っていつの間にか運営スタッフ入りしてたのか : あ艦これ ~艦隊これくしょんまとめブログ~

とにかく当時の僕は、「こんなの圧力だろ。抗議してくれ」と担当編集に相談したんですが、言われたのは「そんなのこの業界じゃ当たり前のことだ」という定型句だけ。
こんな不当な潰され方をするのが「当たり前だ」と片付けられ、作品を売るチャンスが潰されても「問題にしたくないから」と事なかれ主義で見ないふり。

なんで作家の僕が編集や出版社を頼るのは〝迷惑〟で、出版社や編集が俺に問題のしわ寄せを押しつけるのは〝仕方ないこと〟なんだ。

せめて絵師の名前だけでも公開できないかと編集に相談したものの、「もしバラしたら今後2度とうちで仕事はできなくなると思え」とか言われる始末です。
とはいえ「今回の作品が打ち切られたら商業を辞めよう」と決めてた僕は「それならバラした方が売れるチャンスがあるだけまだ得だな」というぶっ壊れたそろばんを弾きながら刊行日を迎えました。

2014年6月『アーマードール・アライブ 死せる英雄と虚飾の悪魔』発売と同時に炎上

アーマードール・アライブ 死せる英雄と虚飾の悪魔 (講談社ラノベ文庫)

アーマードール・アライブ 死せる英雄と虚飾の悪魔 (講談社ラノベ文庫)

  • 作者:幾谷 正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

結論から言えば「その月に出たレーベルの新作の中では一番売れたけど」っていう最大限ムカつく形で発売後一週間で2巻打ち切りが決まりました。
発売後の感想を見る限り「作者はデビュー作より成長した」とか「今度は完結まで読みたい」とか温かい感想も一杯頂いてたんですが、そういった感想をもらう頃にはとっくに打ち切りが決まっていた形です。

ここで僕は自分のTwitterで、例のまとめにある「足かけ二年かけて作り上げた新作の行く末が、艦これの運営から掛かった圧力のせいで潰されてしまった」という発言をして炎上するに至ります。

自分の中ではこういった一連の流れがあってした発言だったんですが、「発売一週間でいきなり打ち切りが確定する」という狂った現実をネットの皆さんが全く理解してもらえなかったのが一つ。
そしてもう一つ、これは言われてみたら本当にその通りなんですが、イラストレーターに宣伝を頼むか否かは出版社の編集が決めることであって、外注のライターでしかない自分が口を出すことではないという大前提でした。
企画から原案、キャラクター全員のプロフィールからメカデザイン、設定、本文の執筆と構成、再編、果てはイラストレーターの選定まで。作品の実制作を行っているのは全て僕です。
こちらは売れなければ印税も下がるし経歴にダメージも受けます。次からの刷り部数も減りますし、打ち切られればまた企画を作り直さなければいけません。
しかも売れなければ印税も下がるし経歴にダメージも受けます。次からの刷り部数も減りますし、打ち切られればまた企画を作り直さなければいけません。受けるショックだって大きいです。
対して編集は新人が何人打ち切られて爆死しても給料は下がりませんし、仕事も同じ量与えられます。会社の年功序列に従って出世しますし、実力なんて1ミリも問われないアマチュアのような世界です。
そんな何一つ作品に賭けるものがない編集が「まあイラストレーターのネームバリュー無しで宣伝もしなくても何とかなる」と判断してしまった時点で、僕は何もしてはいけなかったんです。

今後、出版社と仕事をする際は事前に契約書を用意して「作品の発売前にこれだけの宣伝をしてSNS上で累計〇〇PVに到達し、告知サイトのユニークPVが〇〇に達しなかった場合、出版契約は白紙に戻す」とか書いて約束させるぐらいしかないんでしょうか。
とにかく「発売開始から一週間で打ち切りが決まる」「事前の宣伝の方針は編集部が決める」「打ち切られた場合作家は利益が減る」という3つの状況は新人をブロイラーにベルトコンベアで送るだけの機械を生み出してる気がしてなりません。

togetter.com

そういえばちょっと前、KADOKAWAの編集者が「これからは作家が自分で宣伝しろよ! 俺たちは手伝うだけだから!」とか脳天気なこと言って炎上してましたが、まあ半分正しくて半分間違ってるなと思います。
確かに宣伝は作家が自分で行うべきという点は正しいんですが、編集は肝心なところで足を引っ張るのでむしろ何もしないでくださいって感じです。要するに邪魔です。

僕はこのとき半分は個人的な感情から、半分は自分の味わった経験から「KADOKAWAみたいなクソ企業に支配されたエンタメ業界はもはやダメだ!」と叫び散らしていました。
そのたび「ラノベ作家のくせにKADOKAWA様に逆らって生きていけると思うな」とか大してラノベ書いてる気配も読んでる気配もない謎の立場の人たちからお叱りを受けました。
3年経った今、KADOKAWA様の言うことを聞いて大人しくしたがってきたクリエイターの皆さん、本当に報われてますか?
KADOKAWAに逆らわず従ってきて良かった」と本当に言えますか?

それとこの炎上の最中、二次創作してる同人作家の方々から「他人の作品を宣伝に使おうなんて作家の風上にも置けないやつだ」とか笑い死にしそうなことを言われまくって「あ、こいつら殺していいゴミじゃん」って気づきを得ました。
誰の著作権も侵害せず、一次創作を正当に頑張って続けてきても、1度弱音を吐いただけで作家とも呼べない寄生虫みたいな連中に上から目線で「お前は作家じゃない」とか言われるんだから惨めなもんですね。
気に食わない犯罪者からは表現の自由を奪って問題ないと彼らは考えているようですし、僕もその通りだと思い知りました。
皆さん自分の立場で思うことは色々とあるでしょうが、僕自身の立場としては「潰されるぐらいなら全員潰す」と決めているので、議論の余地はないものと思って下さい。

とにかく出版社の人間も、作家気取りの二次創作寄生虫たちも、結局彼らは自分の立場とか収益を守るために「創作」とか「作家」とか「表現」って言葉を利用してるだけで、実は言うほど作品のことなんて大事に思ってないんだなっていうことがよく分かりました。
僕はこの後、炎上があまりにひどすぎて精神を病んで心療内科に通うことになり、強迫性神経症と不眠症のダブルパンチで社会性が完全に死んで、新卒で入った会社の仕事を辞めざるを得ない状況に陥ってます。
今でこそ笑い話にしていますが、当時は本当に辛く苦しい毎日でした。あれだけ努力して勝ち取ったラノベ作家という肩書きを、自暴自棄になって捨ててしまった上、ネット上で無数の人間に「お前が潰されれば良かったんだ」と批判を受け続けました。
当時を思い出しながらこの文章を書いている今も、頭蓋の中に冷たい針を突き刺されたような、独特な痛みがよみがえってきます。
「打ち切られたくない」「作品を存続させたい」と思っていただけなのに、一体何が間違っていたのかとても思い悩みました。

「ああ出版社と縁を切れば作品を続けるって目的はむしろ達成できるじゃん」という当たり前の事実にここまで来てようやく気づいたのがこの頃でした。

2014年7月 WEBで活動を始める

https://ncode.syosetu.com/n9962ce/

炎上して精神科に通院を始めてからの間、なぜそうなったか自分でもよく覚えてないんですが、なぜか「小説家になろう」で新作の連載を始めます。

実はこれを書き始める1ヶ月前、出版社から”既に出版して販売されて打ち切りも決まった『アーマードール・アライブ』の出版契約書が送られてくる”という笑える事態が発生します。
もしそのまま何も考えずサインをして返送すると、向こう3年間作品は続きを出すことも、他社で出し直すこともできなくなります。

そうなんですよ。
作家は出版契約書に縛られているから自分の作品を自由に出したり、続きを書く権利を奪われてしまうから、契約書を結ばなければ作品の続きは別の会社からでも同人誌でも好きなだけ出し直しできるんですよ!!
当時これ本当に大発見だと思いましたし、まだこの発見ができていない作家さん数多く見られます。

それに気づいた僕は「自分で作品は出し直しするから版権は返して下さい。というかそもそも契約書結んでないから渡してないですね。契約書にはサインしませんし版権は渡してません。印税も要りません」という、とんでもないメールを講談社に送ってます。
(自分で過去のメール読み返しててビックリした。こえーなこいつ)

ちなみにそういった事情から電子書籍の販売契約は結ばないでおいたんですが、後日講談社から「間違えて電子版を作って売ってしまった」という寝耳に水な連絡が入りました。
危うくKindleの独占契約を切られる危険があったので著作権侵害で訴えてやろうかと内心ブチギレてたんですが、結局即座に販売停止してくれたようなので一安心です。
せめて最後の後始末ぐらいはちゃんと仕事して欲しかったんですが、まあ無能は治らないから仕方ないですね。

僕としては「もう打ち切り決まってる作品なんだし、得にならないと思ってる作品ならさっさと返せよ」ぐらいにしか考えてなかったんですが、結局編集から「せめて1年間の時限契約にしてくれ」とお願いされて渋々了承してます。
こればっかりは先に契約を結ぶという社会常識の無い出版業界とそれを当たり前と思い込んでた編集が完全に悪いですし、僕がまだほんのわずか人の感情を残してたおかげで良かったと思いますね。
もし「打ち切られて作品の続きが出せない!」と悩んでる皆さんも、もし契約書をまだ結んでないとか、そもそも結んだ覚えがないとかだったら、さくっと個人で始めてみても良いと思います。

とにかく作品の継続を決めたものの、1年間やることがなくなってしまった僕は「せっかくなので、偽名を使ってちょっとなろうに挑戦してみよ」という軽い気持ちで新作を書き始めたわけです。
また、そこで書いた作品をそのまま電子書籍化してどれぐらい売れるか試してみました。

2015年5月 初めての電子書籍を出版

1年ほどなろうを欠かさず毎週更新して、溜まった内容を電子書籍にして販売するという一連のサイクルを回してみた結果ですが、以下のようになりました。

ブックマーク  :1,704件
ユニークアクセス:166,408
電子版販売冊数 :70冊

無名の作家が同人誌出して70冊売れたって考えたら結構頑張った方なんですが、目標1000部を目指してたので正直言って惨敗でした。
作品自体は結構自信があったし、面白く書けていたと思うんですが、「お金を出してでも応援したい」という層が少なかったのは個人的にショックでした。
(値段を一冊10000円とかバカ高くしてコアファンに支えてもらうとか、Fantiaで収益作るとか、今考えると選択肢はもっとあったのかも知れません)
ただ「なろうで頑張っても電子書籍はあんまり売れない」ってことと、「電子書籍を作って売るのは思ってる以上にめちゃめちゃ簡単」という2つの事実が自分の中にできたのは大きかったです。

例えばなろうで総合一位になっている『無職転生 - 異世界行ったら本気だす -』ですが、ブックマークは14万件。
今回得られた係数をそのまま当てはめて計算すると、5600冊売れる計算。仮に1冊1000円でKDPの独占プランで売っても約400万円。
かなり荒っぽい計算なので実際にはかなり開きがあると思いますが、少なくとも書籍化によって得られる印税の方が圧倒的に多いのは間違いなさそうです。

なので世間では「なろうで人気稼いで電子書籍出せば出版社無しでも稼げる」っていう与太話は、言うほど簡単じゃないかと思われます。
ケースによって違うでしょうが、少なくとも自分の場合は「ここに活路はない」って気づけた感じです。

本来は『アーマードール』もなろうで閲覧数を稼いで電子書籍につなげるっていう計画を立ててたんですが、この計画はやる前から破綻してると気づけたのが本当に良かったですね。

2015年8月 『アーマードール・アライブⅠ』を電子書籍リバイバル

アーマードール・アライブ  Ⅰ 〜死せる英雄と虚飾の悪魔〜

アーマードール・アライブ Ⅰ 〜死せる英雄と虚飾の悪魔〜

そんなこんなで1年経ち、ようやく『アーマードール・アライブⅠ』の電子書籍版を出し直すことができました。
結果から言ってしまうとこちらの本は、表紙を頑張ったり販売作戦を仕掛けたりしたおかげで、めでたく1000冊を売り上げることに成功できています。
道のないところに道を作ったり、データのないところにデータを探しにいったり、CSSとhtmlを自力で書いたり、電子書籍コンバーターの中の人に問い合わせしてたら仲良くなってもらえたり、なんか色々とありました。
手伝ってくれてるイラストレーターの友人も宣伝以外の部分は全面的に協力してもらえているので、なんか不思議な力で潰される危険もなくわりと順調に進んでいます。
ただ「1巻はあくまで商業出版されているし編集の目が入ってるからお前自身の実力じゃない」という引っかかりは感じていましたし、2巻がどれぐらい売れるかは心配でした。

2016年3月 『アーマードール・アライブⅡ』を電子書籍で出版

アーマードール・アライブ Ⅱ 〜軛解きし色欲の悪魔〜

アーマードール・アライブ Ⅱ 〜軛解きし色欲の悪魔〜

そして念願の第2巻を発売するわけですが、こちらも順調に売れ続けて現在900冊ぐらい売れてる計算です。
また、「商業をやめたことでクオリティが落ちるかと思ったらむしろ上がった」とか「2巻で打ち切られなくて良かった」という感想もそれなりにいただけたのが嬉しかったです。

この2巻を出したことで独立してやっていけるという自信がつきましたし、ようやく自分を”電子書籍作家”と名乗れる自信がついたのがこの頃でした。

2016年9月第3巻&2017年10月第4巻発売

アーマードール・アライブ Ⅲ 〜非情の人形は悪魔の虜〜

アーマードール・アライブ Ⅲ 〜非情の人形は悪魔の虜〜

続刊も順調に出せていて、去年はとうとう作家になって初めてシリーズ4巻目を出すことができました。
販売ルートを広げるために取次に依頼したり、その取次先を切り替えたりとかして、その影響か2巻までに比べて若干売り上げは下がってきた気配があります。
もちろん単純に、自分の実力が読者の期待に応えられておらず、途中で買うのを辞めてしまった人が居る可能性もあるので、そこは努力しないといけません。
作品を長く続けるというのは考えること、努力すること、磨くべきこと、諦めるべきこと、創作に大事なものをたくさん学べると思います。
出版社の雇われ作家として、すぐに終わってしまう1巻を延々と出し続けるより、今の方が自分のキャリアにとって大切な時間だと感じて今は続刊を書き進めています。

3年前、発売一週間で2巻打ち切りが決まったはずの作品が、1000人もの読者に支えられて現在も継続できているのは、本当に有り難いことだと思います。

2018年1月アーマードール・アライブ公式サイト公開

あと活動と並行して、電子書籍を出すためにhtmlを独学で勉強した結果、そっち方面に転職して本業ではWEBをちょっとやってたりします。
本業で学んだ知識を活かして作品の公式サイトを作ってみたり、そのサイトを作ったときの経験を本業に活かしてみたり、なんか都市伝説と思われてた「趣味でも本業でもコードを書く人」という奴にすっかり自分がなってきてます。

armordoll-alive.funny-creative.com

そして現在

そんなわけでまあ、二次創作者のタダ乗り行為を叩いたり、出版社の問題を叩いたり、Twitterを凍結されたりとか色々ありますが、楽しく元気に作品を書き続けています。

世間ではなんか「問題を起こして出版を追い出されたキチガイ」みたいに言われてますが、僕は自分のことを「問題だらけの出版社を見限って創作を続けるために自分で出て行っただけ」としか思ってませんし、精神の問題の方もまあ古傷は痛みますが思考は正常に出来てると思います。
「売れてないザコ作家」とか言われてますが、一次創作文字同人で1000部売っても「売れない」扱いされるのはなんでなんでしょうね。みなさん壁サークルを抱える大手同人作家さんばかりなんでしょうか。
「絵師に宣伝を迫ったストーカー」とかもよく言われますが、それ言えば言うほど「あのイラストレーターは仕事依頼しても宣伝を一切手伝わない人間だ」って風評を広げるだけだと思いますね。別にやりたきゃどうぞご勝手に。

なんていうか、僕は炎上して頭がおかしくなったわけじゃなくて、炎上して目が覚めて正しい判断能力が身についただけだと思ってるんですよね。
だって出版社という権威を盲信して編集者をマーケティングのプロフェッショナル達だと思い込み、自分の大事な作品の著作権をバイト代程度の二束三文で売り渡していたなんて明らかに異常な行動でしたもの。
まだ洗脳が解けていない皆さんは誠に残念ですが、自分たちの信仰を守るために炎上作家という見えない敵と戦っててください。ここに居るのはただの電子書籍作家ですので。

とりあえずこういった形でちゃんと自分に関する一次情報を、できるだけ客観的に観測可能な実数を元に、時系列に沿ってご紹介させていただきました。
今後、ここに書かれてる情報と明らかに反したことを言ってるバカが居たら「ソースを調べる能力も気力もない無能で怠慢なバカか、人の形をした猿」として対応させていただく所存です。

そろそろ商業作家として活動した期間を、電子書籍作家として活動した期間が上回りますが、今後も頑張って活動していくことで「元ラノベ作家」ではなく「電子書籍作家」ってちゃんと呼んでもらいたいものですね。
幾谷正でした。

※補足

6月17日追記

Twitter見てたらこのエントリーを発見した読者の方が「続き出てたんだ! 買わなきゃ!」って反応してくれてたのを見かけて嬉しかったです。
ブログちゃんと更新した甲斐がありました。

f:id:funny-creative:20180617204025p:plain

イラストレーターにTwitterでの宣伝をお願いした」だけであって「艦これの名前を使え」とは僕は一言も書いた覚えないんですが、日本語読めてますか?
三者が流したデマを真に受けて現実が都合良く見え、書いてもいない文章を脳内で作り出して現実と思い込むタイプの病気なんでしょうね。
こういった思慮のないデマを流す人間が居るからわざわざ説明をしたんですが、結局こういう人には何言っても無駄みたいですね。
はてブはあなたみたいな頭の悪い人間が自分の主張を広げるためのデマ拡散ツールじゃありませんよ。

救空【スクエア】 on Twitter: "大炎上(ある意味)有名電子書籍作家でも3年で3000部しか売れないのに、無名の新人作家の1巻を10000部売る出版社の力って凄いな。"

講談社ほどの資本力も権威も実績もなくても、起業すらしてない個人でも10分の1までは到達できるって考えたらむしろ凄くない?(ポジティブ)

6月18日追記

はてブコメントを「筆者の射程外から一方的に陰口叩ける魔法のツール」とでも思い込んでる原住民族共に現実を教えてやりたい。


絵師も編集部も「艦これ」の名前こそ使ってないものの、「某艦隊ゲームのイラスト」と最大限煽って宣伝してたのに、酷い逆恨みだ - ichiseのコメント / はてなブックマーク


僕がTwitterで炎上させるまであなた含めて誰も気付いてなかったですよねこれ? 
じゃあ最大限なんて口が裂けても言うべきじゃないし、最大限努力したのはむしろ僕の方なんですけど。
告知や広報は読者に知らせるために行うものであって、形だけ仕事したふりして作家を黙らせるためにやるものじゃないですよ。
一体この書き方で誰が「ああ、あの人ね。ならば買おう」って気付けるんですか?
「言われたとおりやったんだから文句言われる筋合いはない」なんて仕事のできない無能の常套句ですよ。

『アーマードール・アライブ』幾谷正氏の講談社ラノベ文庫とのトラブルについて - 好きなら、言っちゃえ!! 告白しちゃえ!!

あと調べてみたら憶測で僕に関する記事を書かれているブログ作者の一人みたいですが、主観と偏見でだいぶ事実と異なることを書かれてますね。
未だに僕の話題が出るたびこの記事を鵜呑みにした人からストーカー呼ばわりされるんですが、本当に活動の邪魔ですね。
あなたがどういう思想でブログを書かれてるか知りませんが、僕みたいな作家の足を引っ張る目的で悪評を撒き散らし続けてるなんてあなたが僕のストーカーなんじゃないですかね。

表に出して喋らせたらいけない(売上に差し障る)タイプの作家だ - wdnsdyのコメント / はてなブックマーク

「今は作家が自分で自身をアピールして売り込んでいかなきゃいけない時代だ」って編集の皆さんも言ってることでしょ。
それで注目集めるようなこと言って売上になんの影響もない厄介なのに目つけられて、まとめスレできたり棘にまとめられたら炎上と判定されて問題アリってことで契約打ち切られたり出荷停止になったりするんだけどね。
じゃあ最初から一人で売り込んで一人で宣伝して、問題があったら自己責任ってことでやってる俺が一番正しいやり方じゃん。

ゲンコラを著作者に通報して反論する垢に「正論のブルドーザーで轢き殺すの気持ちいい」ってツイートして凍結された人やっけ - elephantskinheadのコメント / はてなブックマーク

そうだよ(迫真)

funny-creative.hatenablog.com

6月20日追記

「幾谷正って誰?」って人のためにラノベ作家デビューして出版社に絶望して炎上して電子出版始めて個人で3000部売るまでの経歴をまとめました - Funny-Creative BLOG

いつのまにか取次が電書バトからボイジャーに変わっていた。

2018/06/19 16:24
b.hatena.ne.jp

めちゃめちゃいい着眼点ですね。
一度「電子書籍の取次って一体何なの?」って疑問に答えたかったので今度ブログでネタにします。