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電子書籍作家の幾谷正が個人出版の最前線で戦う話

「はだしのゲンコラ村」を公式に問い合わせて燃やしたら僕が凍結されたという氷と炎の歌

毎度お騒がせしております、幾谷正です。
えーっと、どこから話したものか。タイトルの通りです。

Twitterで行われている「はだしのゲン」のコマを無断改編および転載行為を見るに見かね、販売元である版元や作品を応援する支援団体に問い合わせ行ったところ、
その行為がよほど”著作権侵害者たち”の怒りに触れたのか、多数の方から違反報告を受けてTwitterのアカウントが凍結されてしまいました。

凄いですね、言ってる僕も何書いてんだって感じです。

経緯について

なんかTwitter眺めてたら「幾谷は無関係な団体に問い合わせただけだ」とか「作者の中沢啓治は亡くなってるから著作権者は居ない」だとか「幾谷は艦これで炎上した前科がある」とか情報が錯綜してるので、いちおう経緯をご説明します。
僕のアカウントは凍結されてしまっていますが、いちおうtwilogの方に発言は残してあったので、そちらからキャプチャする形で掲載します。
あと艦これの運営と揉めて炎上したのは事実です。

1.著作権侵害行為を見かねて、コミックを出版している汐文社とほるぷ社の2社に問い合わせメールを送る。

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2.ほるぷ社と汐文社からそれぞれ返信がくる

まず、汐文社からは以下のような返信がきました(5/30)
「認識はしているけど版権を管理しているだけなので言及できない。作品のイメージを汚すようなものがあった際には、著作権者と相談の上、対応させていただくことになるかもしれない」

いや、これだけ数多くの人間に著作がオモチャみたいに扱われておいて「イメージを汚してないし著作権者ともまだ何も話し合ってない」って、お前ら本気かよ。

とりあえず「じゃあやっていいの? ダメなの? そもそも本当に相談してんの? 事なかれ主義で見ない振りして侵害から目を背けるつもりなんじゃないの?」としか思えなかったので、Twitterでリプライ付きで投稿して置いて、言い逃げできない状態を作っておくことにしました。

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そのあと汐文社からは「社内で見解をアップするため用意していますのでそれをお待ちください」というメールが来たので、とりあえず待つことにしました。

またほるぷ社からは「作品の版権は汐文社が管理しててうちは刊行をしているだけ」という返答がありました。(5/30)

3.「NPO法人はだしのゲンをひろめる会」にも問い合わせを入れてみる

まず大前提として、著作権というのは財産権と同様、著作権者の死後は著者の遺族か、著者が指定した相続人に自動的に継承されます。
つまり「作者が亡くなっているから権利者は存在しない」というのは誤りですし、著作を管理しそれで対価を得ている権利者は今も存在しているのです。
皆さんは、著者が遺族に託した財産を不当に扱い、貶めているわけです。

で、「汐文社がだんまり決め込んだときに備えて、著作権者と繋がっていそうな筋をもう一つ当たってみよう」と思い立ち、NPO法人はだしのゲンをひろめる会にもメールをしました。
こちらからはすぐに返信が返ってきましたが、「著作権者や出版社に報告して対応する」という返事だけで、特に進展ないなと思いつつTwitterでこれを報告。

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そしたらなぜか、5/30の出版社の問い合わせの件よりなぜかこっちの方が拡散され、燃えに燃え広がり、延々送られてくるクソリプと果てしない闘いをくり広げてたらなぜか凍っていました。
「幾谷は無関係なNPO法人に問い合わせただけ」って噂はこのせいで立ってるみたいですが、それについては否定します。
俺は効果的に燃やせるようにちゃんと狙って火をつけてるからな!!

4.そして伝説へ

一応今回の件について、問い合わせを行った先の一つである、「はだしのゲン」のコミックを販売している汐文社様から以下のような告知が出されていました。(6/4)

www.choubunsha.com

弊社の見解は以下のようなものです。

①下記にあるように、弊社は、弊社書籍内のイラストやマンガの転載は基本的にお断りしています。

/copyright/

②作品の著作権者が不利益を被るような内容であると弊社が判断した場合には、

著作権者にお知らせしています。

ただ、事が荒立てたくないばかりにこっそり出したかいあって、Twitter上ではごく一部の人しか気づいておらず、今も大量のコラ画像がアップされては著作権が蹴り飛ばされ続けています。
やたら時間が掛かったわりにこれでは何も言ってないのと変わりないですね、本当に故人の作品守る気あるんでしょうか?
「コラ素材として優秀な漫画を描かれる先生がたには早く亡くなって欲しい」と一部の人間に思われててもおかしくないと思います。

(追記:ねとらぼさんで今回の声明文が記事になっていました)

nlab.itmedia.co.jp

Twitterとかいう著作権侵害


はだしのゲン」のコラ画像著作権侵害として通報した人のアカウントが凍結されてるのって、起こってはいけない事なのでは?

「起こっとるやろがい!」って話ですよね。起きてしまったもんは仕方がないと思います。
著作権侵害をした側が凍結されるならまだしも、それを正論で批判した側が凍結されるなんて、なかなTwitterも香ばしいSNSに成り果てたなって感じです。

そもそも皆さん、本当に出版社が出しているコミックを自分で買って、それをスキャンして、加工した上でネットに上げているんでしょうかね。
僕はどうせ、誰かがファイル共有ソフトなり違法ダウンロードサイトで入手したモノを加工して、それを更に加工してと使い回してるんじゃないかとにらんでます。
侵害したのは最初の一人だけで、それを加工している自分たちに罪はないとでも思ってるんでしょうか。

実際、「加工しやすいようにセリフを消しておきました! 素材として使ってください!」なんて形で画像を上げている人も数多く見かけました。
なんで素晴らしい漫画を広める目的でやってる人たちが、その素晴らしい台詞をわざわざ邪魔な存在みたいに消してるんでしょうね。

仲には目を疑うようなこんなツイートすらも見かけました。


汐文社の声明「基本的にはお断りしてる」っていう公式凸された時の定型文+「作品の著作権者が不利益を被るような内容であると弊社が判断した場合には、 著作権者にお知らせしています」だから著作権者が被る不利益の無いゲンコラの場合は特に対応しないゾって遠巻きに言ってる感もあるな

ここまではっきり言われてまだ「許可だ」って言い張れるとかスゲーなお前! セクハラやめない勘違い男かよ!!

正直普段から「このマンガのセリフがすごく良いこと言ってる!」とか「これ面白いから皆見て!」って感じで漫画やアニメのキャプチャを貼り付けて。
それが拡散されたら「俺有名人じゃんwww」とか「拡散されたから宣伝します!!」とか、みなさん他人の作品をまるで自分のもののように利用していますよね。

それ、漫画村のやってたことと一体なにが違うんですか?

普段からあまりにカジュアルに著作権侵害が行われ、糾弾されず、それどころか糾弾した側が排斥される、低俗なモラルの人間達が自己肯定しあっているのがTwitterというSNSの実態だと感じています。
凍結されてしまってアカウントも作り直せない状況ですが、このまま使わないで居る方が自分に取っては良いんじゃないかなとも思えます。

宣伝に使うだけなら犯罪ではないという誤解について

日本に限らず広告というのは本当に巨大なマーケットです。個人も企業も自分の商品やサービスをより多くに知ってもらうために、多くの広告費をかけています。
ネットで動くお金の大部分は広告収益のやり取りですし、テレビだってスポンサーからの広告料で成り立っています。
広告というのは本来、大きなお金を払ってやるべきものです。

コラを使った広告の例と言えば、以前にこのようなものがありました。

dragonball.news

これ、一体どれほど巨額なお金が、資生堂から集英社鳥山明先生に振り込まれたか、想像ができますか?
そこで得られたお金は、また別の作品が生まれるために循環していくわけですし、作者もまた著作利用料という形で、コミック印税以外の利益を得られるわけです。

それを皆さんが、「漫画のコラで好きな商品を紹介するぜ!」だなんて勝手にやって、それが広まってしまったらどうなると思いますか?

本来払われるはずだった著作権利用料を作者は得られず、あなたの好きな商品を出している会社まであなたの起こした著作権侵害に巻き込まれてしまいます。

www.asahi.com

それに、以前はこのような目を覆いたくなるような侵害の例もみかけました。
今回でも、「自分の出してる同人誌をはだしのゲンのコラで紹介する」という、明らかな広告利用の例だってありました。

「宣伝のためにコラを用いても著作権者に著作利用料を払う必要はない」などという価値観が蔓延して、被害を被るのは一人ひとりのクリエイターです。
現状のコラ文化を看過することで日本の文化を破壊する片棒を担いでいるのはあなた達自身です。

僕を批判している皆さんへ

なんか僕の過去の炎上を持ち出して「あいつは殺していいやつだった!」とか、よく分からない盛り上がり方している人たちいますね。
とりあえず僕の炎上の詳しい経緯について知りたい方は、エッセイを以前に書いてるので良かったら見てもらえると嬉しいです。

kakuyomu.jp

あと、「こんなやつが作品を出すなんて許せない!」みたいなこと言ってる皆さん。
表現の自由を守りたいんだか踏みつけたいんだかよく分かりませんが、「気に入らない人間の表現は踏みにじっていい」って君たちの考えはよく分かります。
でもそういう人たちは特に読者として求めていないので、好きなだけ暴れてたら良いと思います。どうせ君たちごときには何もできないんだしね。

それでもどうしても、僕が小説を公開することに我慢できないというなら、ぜひ僕が作品を投稿しているサイトの問い合わせフォームからお便りを送ってください。

armordoll-alive.funny-creative.com

まあサイトの管理者も僕自身なんですけどね(笑)

わりと他人のプラットフォームを抜け出したことで、前よりのびのびと自由に発言できるようになったなって感じがします。
もしはてなブログの管理者に怒られたら、自分のサイトにブログを移し替えればいいだけですしね。

これからのクリエイターに必要な「脱プラットフォーム」という考え方について

もくじ

  • 長い前置き
  • 「Form and content」というとらえ方
  • いつまでそのクソみたいなプラットフォームにすがりつくの
  • 俺はTwitterのコンテンツじゃねえ!!
  • お前に都合のいいものを用意してくれるのはお前だけだ

長い前置き

こんにちは、また性懲りも無くTwitterが凍結されてしまいました。幾谷正です。

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正直、凍結も3回目ともなると「ああ、またか」って感じなんですが、めでたくブラックリスト入りしてしまったのか、プライベート用のサブアカウントも凍結されるわ、アカウントの作り直しも利かない。
そしてTwitter上ではクソゴミどもに言われ放題だわとろくな事がなく、わざわざまたアカウント作り直す意欲がほぼ完全に途絶えている感じです。

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今回の炎上の経緯と言っても「著作権侵害行為に強めの注意喚起をしたらヘイトを買って凍結された」という、まあ笑えない感じで。
言論統制じみた運営の言葉狩りに窮屈さを感じてはいたんですが、ちょっと目立ったことをするだけで有象無象から足を引っ張られるTwitterというサービスにメリットを感じなくなっている気持ちも正直あります。

これからの活動については、慌てて作成した公式サイトでご報告しています。
「幾谷先生の新刊情報はこれから一体どう追えばいいんだ!」って人はとりあえず公式サイト見といてください。

FunnyCreative | たのしいことがしたいだけ

また、長くなりそうなエントリーなどは今後もこちらのはてなブログで投稿していきたいと思います。
興味持っていただけたら「読者になる」をポチッと押しておいていただけると、たまに電子書籍の最前線で戦ってる僕の金言がながれてくると思います。

そして知人などとの交流についてはFaceBookを中心に行っていく予定です。
FB通した作家間のオフラインイベントにも積極的にしているので、アカウントお持ちの方もまだアカウント作ってない方も友達申請していただければ幸いです。

www.facebook.com

これらの詳しい活動形態については公式サイトでまとめているのでそちらもどうぞ。
公式サイトとブログをリニューアルしました | FunnyCreative


今回、一日がかりでサイト作り直したりサーバーの設定直したり、作ったまま放置してたサイトをあちこちメンテナンスしたりと結構大変でした。
それと同時に、Twitterという便利なプラットフォームに依存しすぎていた自分の作家としての怠慢と、「自分自身のドメインを持つ」というWEB戦略の重要さを再確認させられました。

前置は長くなりましたが、今回は前々から考えていた「脱プラットフォーム」という考え方についてお話しさせていただきたいと思います。

続きを読む

『アーマードール・アライブ』の作品公式サイトができました。

ご無沙汰しております、幾谷です。

このたび、『アーマードール・アライブⅣ』の発売と作者の人生4度目の転職を記念しまして、作品の公式サイトをオープンさせました。

armordoll-alive.funny-creative.com

今までTwitterやブログだけで宣伝活動を続けてきましたが、「具体的にどんな作品かわからない」とか「発売情報が分かりにくい」といった声があることや、
さすがに4巻も続けてると情報量が多くなってきてしまったので、こうして公式サイトを作ったりなどしてみた感じです。

既にお読みになってくださった皆様は、ご友人に作品を紹介するときは是非このサイトのURLを紹介していただければと思います。
またキャラクターの紹介イラストは本編では未登場の描き下ろしになってて、今後もいろいろ要素を増やしていく予定なのでたまにチェックしてみてください。

ちなみにこれ、誰かに依頼して作ってもらったとかではなく、CSSからjQueryからほぼ全て自分で書き起こしてます。
イラスト担当の友人にも素材製作めっちゃ手伝ってもらえてめちゃめちゃ感謝してます。おかげで良い感じのサイトにできました。

「作品を続けるために電子書籍を自力で作って自分で売る!」と思い立って活動を始めてからそろそろ3年目ぐらいですが、
とうとうサイトを自分で作るところまで来てしまいました。個人活動はなんでも自分でやらなきゃなので大変ですね(なんでもやるとは言ってない)

ただ、作品の単体サイトなんて「商業で活動してれば出版社に作ってもらえるのに」とか思われてそうですが、
ラノベ作品単体のサイトって、コストがかかったり運用が大変だったりで、作ってもらえることって実はあまりないと思います。
(アニメ化ぐらい大きなお金が動く段になって作られることはありますが)

編集が売るつもり満点で動かしてる企画は、事前にしっかりサイト作って告知されて書店ぐるみでキャンペーンして、
売れる作品を売るためのスキームをきちんと組んで動かされてますが、全ての作品がそのぐらいプッシュしてもらえるわけではありません。
作品の素材を使ったランディングページが発売前にちょっと紹介されて、殆ど誰にも知られないまま用済みになるケースが殆どだと思います。
僕みたいに自分でコーディングできたとしても、イラストなんかの素材の権利が出版社にあるせいで利用が難しく、結局何も出来ないまま発売日を迎えてしまいますしね。
信頼できない他人に全てを任せるしかない商業活動の苦い思い出に比べれば、何でも自分でやれる状況というのは精神衛生上とても良いなと思いました。

商業出版って、個人では出来ない色んな事を、多くの人に手伝ってもらって叶えるためにやるものなのに、
個人になった今の方が、出来ることが増えてるなんて、なんだか不思議な話ですね(笑)

今後も自分の作品の紹介サイトを作りたいって作家の需要は増えそうですが、それに対応できるカスタムテーマって全然なくって、
自分みたいに自作せざるを得ない状況なので、次は作品紹介サイトを簡単に作れるカスタムテーマの開発と公開とかやってみたいですね。
コーディングスキルばかり上がって肝心の原稿が遅れてしまったら元も子もないんですが。
自分でもすっかり忘れてたけど実は元ラノベ作家なんですよ僕(おさらい)

 

書くことも無くなってきたので終わります。

作品のこと〝ジャンル〟って呼び方するオタク全員○ね

長年オタクなんかやっていますと、ネットの影響とか通信技術の発達とかで、まあ昔とは変わったなーと思うこと多いんですけど
特に近年になってから、Twitterではこういう感じの愚痴を見かけることが日常的になってきたなと思うんですよ。

「最近、○○のジャンルが荒れ過ぎててつらくなってきた・・・」

「○○ジャンルの人たちはイタい人が多くて近寄りたくない」

 

いやね、こういうの見る度に思うんですよ。
何の話をしてるのお前ら?

アニメにしろ漫画にしろゲームにしろ、作品は作られて提供された時点で作品として存在するじゃないですか。
それを見たファンが、何か言ったりやったりした影響で、作品が変質するなんてことあるんでしょうか。
そりゃまあ、「ファンの感想から作家がフィードバックを受けて方向性を変える」なんてこともあるでしょうが、
それで作品がつまらなくなるのは〝真に受けた作り手側の技術がヘボ〟ってだけなんで、別にファンのせいにする必要ないと思うんですよ。

そもそも〝ジャンル〟って何やねん

話を戻しますが、たぶんオタクを自称する人たちの中でも「〝ジャンル〟って一体なに?」って疑問符つけてる人も多いと思います。
ジャンルってあくまで、たとえば「ガンダムのジャンルはロボットアニメ」とか「仮面ライダーのジャンルは特撮」とか、作品のカテゴライズの意味で使われるのが一般的だったと思います。
ところが同人活動の活性とか、ネットの普及によるファン同士の交流が増えた結果、ジャンルという言葉には別の意味が付加されるようになってきたみたいです。

おそらくは、コミケのような同人イベントに参加する際、「どのジャンルとしてサークル申し込みをするか」という使われ方から発展して、
〝そのジャンルで登録している人たち〟という意味に発展していたんだと思います。「葉鍵ジャンルでサークル出展している人たち」とか。
また、そのジャンルで登録されている同人誌を買うファンたちのことも包括した言葉として、使っている人たちもいるようです。

これがSNSの普及まで時代が進むと、毎日のようにキャラや作品の話がファンの間で交わされるようになり、ファンイラストがタイムライン上を飛び交い、まるで毎日同人イベントがやってるように錯覚するほどです。
この時代において、ジャンルという言葉が「ある作品のファンとして活動している人たち」という、かなり大きな枠の言葉として扱われるようになってきた感じします。
〝同人イベントにそのジャンルで登録している人〟という元の意味がぼやけていき、作品のファンを自称する人たちのコミュニティのことをオタクでは「ジャンル」と呼ぶようになったみたいです。

趣味と人間関係どっちが大事なの

で。本題なんですが。

僕が学生だった時代は、あくまで深夜アニメとかは「限られたごく一部の人たち」が見ている物で、オタクどうしのつながりとは、偶然にも同じ趣味や価値観を持った人、という認識でした。
まず作品に対する価値観が先にあって、人間関係が後でできるような感覚なんですよね。
たとえ相手のことは人間としてそれほど好きではなくても、偶然にも近い価値観を持った者同士だから、理解者として付き合う。宗教性に近い感覚だと思います。

それが今、SNSとか見てると、なんか逆になってるような気がします。
〝ジャンル〟という、何かよく分からない仲良しグループみたいなものが前提として存在して、その人間関係に参加するために作品に向き合ったりしているように見えます。

「去年まで○○ジャンルで活動してた人たちが、新しいジャンルに移ったから、じぶんもそれに併せて作品を見よう」

みたいな、コミュニティに参加するための道具としてしか、作品のこと見てないんじゃないかって思う瞬間がよくあります。
僕は個人的な持論として

なんてことを平気で言うやつなので、ぶっちゃけ「お互い違う作品を好きになったら分かれて別の道に進めばいいじゃん」って思ってます。
それでもし、いつかまた同じ作品を好きになったとき、「ようまた会ったな」と挨拶を交わすぐらいの関係で良いんじゃないでしょうか。

周りと話をあわせるために、一生懸命流行を追いかけて、仲間はずれにならないように話を合わせて。
オタクってそういう人たちを小馬鹿にしたような人たちがなるものだったと思います。
むしろ今のオタクと呼ばれる人たちの方が、一生懸命周りにあわせて同じゲームをやる、笑われる側の人間になってきてんなって思ってます。

作品のことを〝ジャンル〟としてしか見ていない人たちへ

作品にたずさわってるスタッフが何言ったとか、ある作品の二次創作出してるやつがどんな本出したとか。
それ、作品に何か関係あります?
次再生したときいきなり内容が変わったりします?

もし、つまらなくなって感じるんだとしたら、それは最初から

人間関係とか声優とかにしか興味がなかっただけで、作品そのもののことはどうでも良いだけでしょ。

「俺は声優が大好きだから作品のことなんて声優のPV程度にしか思ってない」って言い切る声優ファンとか
「アニメのキャラなんて同人誌で犯されるために存在するとしか思ってない」と言い切れるシコシコ野郎とかは
むしろ自分の道を貫いてるオタクなんで、好感が持てると思います。

でも、本当は作品のことなんかどうでもいいくせに、「○○ジャンルに関わる人たちが大好き!」とかクソ寒い発言する人たち。
価値観があまりに合わないので近づいてほしくないので、とりあえず死んで欲しい。

文字書きとして立命館の研究論文とpixiv小説について思ったこと

こんにちは、幾谷です。
立命館大学が発表した論文」がかなりネット上を騒がせていますね。

news.livedoor.com

SNS上ではなんか、小説なんて一文も書いたことない、著作権もろくに理解してないド素人どもの妄言が1万RTとか拡散されてて「地獄~!!」って感じです。

・商業作家としてデビュー経験があり、現在も個人出版で活動している
・WEBに自分の小説を公開した経験があり、今後も機会があれば再開する予定
・理系大学の出身でデータ解析系の研究で卒業論文を書いた経験があり、アカデミックに対しても理解がある

という僕が、当事者側としてきわめて有用なことをお話するので、耳触りのいいだけの妄言は鼻で笑って、とにかく俺の話を聞け。

 

何が問題なの?

まず著作権的な話をすれば何も問題ありません

1.著作物の一部を論文へ引用するのは、適切にやってれば、無断だろうが問題無い。
2.解析に用いることも「情報解析のための複製など」というド直球な規程があるので、大丈夫。
3.出典元を書かない方がむしろ問題なので、ハンドルネームを書いてるのは正しい。

なのでむしろ問題があるのは、「自分の作品が不特定多数に向けて公開されていて、著作物として扱われる作品だ」という自覚がなかった、作者たちの方だと思います。
pixivの規程にもちゃんと「作品の著作権はお前らのものだぞ」「問題があったらお前らで解決しろよ」と書いてあるのに、「規程なんか知らない。著作権もわからない」ってワガママ抜かしてる連中がアホなだけです。

仮に僕の作品が何らかの研究論文だとか、批評サイトだとか、個人のブログに引用を受けたとして、それが正しく著作権法に基づいて行われたものであれば、問題にはしませんし、文章を削除するなんて過剰反応もしないでしょう。
「著作を著作として扱われれたくない」という人たちは、結局のところ、最初から著作を公表すべきではなかったよね、としか言いようがありません。

特に今回問題になっているpixiv小説の場合、「マイピクに公開」という不特定多数に公開しないための設定も存在するので、作者側はこの設定によって自衛できたはずです。
(今回の件を受けて、この設定に変更する形で落ち着けた方もいると耳にしています)

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見られたくないなら見られないようにすればいいでしょ。
好きで見られないようにしてるならそれでいいでしょ。

「作品を不特定多数に公表する覚悟のない人間を著作者として扱う必要がそもそもない」というのが僕なりの結論です。

プライバシーの侵害になるの?

また、今回の引用が「プライバシーの侵害だ」という意見もたまに目にします、が、なるわけねーだろ

例えば僕が「この小説の作者の名前って幾谷正っていうんだぜー」と公表されることで、プライバシーを侵害されますでしょうか。

というのも、「作家名」というものが本来、司法上ではしばしば「公人格」として捉えられるからです。会社名とかと一緒です。
僕という私人が、創作活動を業として行うため、公人として名乗る名義が著作者名です。
もともと「公」のために用いられるべき名称が「公表」されることで、何らかの害が及ぶとは考えづらいです。

仮に作者名のところに、公表していない本名が書かれてたとしたら、これはプライバシーの侵害でしょう。でも今回はそうではありません。
また「個人情報保護法違反」についてですが、これは業務上知り得た情報に関する法制度なので、今回の件で持ち出してるのは考えの足りないバカでしょう。

Twitterのアカウントがバレる? じゃあTwitterの名前と作者名を分離すればいいじゃん。
ひもづけられて困る情報を自ら進んでひもづけた人間の自己責任でしょ?

そもそも「BL小説を書いてるなんて知られるのが恥ずかしい!」という主張自体、何か「BL小説だけ特別扱いせねばならない」という偏見に基づいてはいないですか?

二次創作だから配慮すべきか?

いや、なんで法を守ってない人間に配慮しなきゃいけないんですかね

今回の件で一番僕がクソだなと感じているのは、論文という著作物を書いた研究者側も、著作権を守っている側の人間の一人なんです。
法律を守っている側が、法律を守っていない、知らない側のルールに合わせろ、と強要されているようにしか見えないんです。

「私たちは法を侵した活動をしているので、丁重に扱え」なんて傲慢が許されるわけないでしょ。日本は法治国家ですよ?

もちろんモラルという概念が大事なのは分かりますが、俺たちのモラルと彼らのモラルは違います。
自分に都合のいいルールを相手に強要すること自体がモラルの欠如です。

そもそも、法律というルールを守った上で、次にモラルの話をしてください。
ルールを守れていない人間が「ルールより俺たちの決めたモラルを大事に扱え」というのは、あまりに都合が良すぎます。
「私たちの決めたルールに反するから私刑にしよう」という本音が丸見えです。事実、現状が既にそうなっているでしょう。

二次創作という表現は、正直「法の支配が及ばない無法地帯」と成り果てています。
「表現だから無条件に守らなければならない」という主張も理解できますが、自由とはあくまで他者の権利を侵害しないという大前提に基づくものです。
今回の件にしろ、論文作者の表現と学問の自由を著しく害する立場として自由が主張されていますが、はっきり言って「どちらが公的に守るべき自由」であるかは明白です。

著作権違反というリスクを冒して活動してきた人間が、そのリスクを許容すればそれで済む話ではないでしょうか。

有害という表現は適切か?

いや、そういう評価も含めて表現じゃん。

僕も「こいつの作品はクソ」とか「害悪」とかたまに言われますけど、感想にしろ評価にしろ、する分には別に自由でしょ。

どうしてもその指摘が許せず、問題であり、著しく気分を害するものであるなら、作者が訴訟を起こして論文の作者を訴えればいいんです。
で、訴えられてない以上、外野は「許されたものなんだな」と認識するしかないんじゃないでしょうか。

この点については「作品の著作権者が自分の手で作品を守れ」としか言いようがないと思います。BLだとか二次創作だとか関係なく。

「小説を公開してたらクソだって叩かれた! うえーん><」っていう覚悟の足りないザコが、自由な表現の場から逃げ出しただけでしょ。
そんな奴どうせ、今回の件がなくとも遅かれ早かれ降りてますよ。
やめたきゃやめればいいじゃない。
自分の勝手で始めたくせして、やめるときだけ人のせいにすんな。
賞賛だけ欲しけりゃお友達だけに見せてろ。以上。

研究の引用に許可は逐一取るべきか?

僕は、あくまでも僕は、取らなくていいと思います。

機械学習にしろ、ビッグデータにしろ、大量に標本を採集する必要のある研究において、全ての引用物に対して許可を取れなんて言うつもりはありません。
これは文章分野だけに限らず、イラストを使った画像解析にも、音楽を使った音声解析、動画解析、あらゆる研究対象に波及しかねない問題です。
全てに許可が必要だという“一部の人間の主張するルール”が、公共の利益に対して及ぼす害は計り知れないものだと思います。
ただでさえ日本の研究は遅れてるのに、さらにハンデがつくのクソじゃん。

誰にでもアクセス可能な開かれたプラットフォームは、作者にとっても、読者にとっても、また研究者にとっても有用なものであるべきです。

モラルを守れだとか体の良い言葉を並べても、結局これらの主張は

「私たちは法を侵した活動をしており、著作者として振る舞う覚悟が足りず、不特定多数にも見せたいので、世間が法を越えた配慮をして欲しい」

という、聞くに値しない戯言です。
何で法律を守ってないモラルの低い連中の側に、モラルのレベルを合わせてやらなければいかんのですか。

著作権法を遵守するというモラルに基づき、適切な引用が行われるのであれば、WEB上に公開されるあらゆる著作を断り無く利用することに、僕は賛成の立場を表明します。
これは繰り返し申し上げますが、何も書いてない口ばかりの外野としてでなく、著作者という当事者の立場からの意見です。

仮に「現行法が間違っている」と主張するなら、法律改正なり、国外で活動するなり、好きな道を選んで活動してください。
口だけの連中はもうお願いだから黙って身の程をわきまえて。

僕はお金の奴隷なので無料コンテンツ好きです宣言

毎度お騒がせしております、電子書籍作家の幾谷正です。

出版社を脱走して独立作家になってから早2年あまり、電子書籍の売り上げも順調に軌道にのってきて、すっかりクリエイター面が板についてまいりました。

特に無料お試し版を公開してからというもの、売り上げの伸び幅がたいへん素晴らしく、Twitterでも「無料だから試し読みしてみたけど2巻以降買う」というつぶやきを見かける機会なんかもあります。
フリーミアムというwebビジネスの方法をやっとつかめてきたような気がしています。

そして、そんな売り上げ帳票を作っている最中、目に飛び込んできたこの記事。

lineblog.me

連日、クリエイター界隈を非常に騒がせておりますね。もう見たという方も見飽きたという方も多いでしょう。
僕も以前から個人で本を売るための方策や活動について公開されている西野氏のクリエイターとしての発言に、ときに感銘を受け、ときに教示を得てきました。
ですがこの発言についてはかなり疑問符が付くところが多く、プロアマ問わず多くの方がこの内容に反論を送っています。

よく言われるのが「全てのコンテンツが無料になったらクリエイターは対価がもらえなくなる」という指摘です。
ですがこの指摘をしている人たち、このブログをちゃんと読んでいないんじゃないかと思いました。

西野氏は「制作スタッフには最初の段階ですでに給料が支払われています」と発言していますし、一万部を自費購入して印刷費を担保するという荒業も行っています。

lineblog.me

 

しかも無料にした結果、「もっと多くのお金が儲かった」という結果を大々的に誇示しています。

lineblog.me

この方はむしろ、クリエイティブの業界に誰よりお金を投じている側の人間です。

なのにどうしてこういった批判が起きるのかという点について、端っこに居る兼業クリエイターではありますが、自分のコンテンツを無料にしてみたことがある経験者の視点で突っ込ませていただきます。

お金が先か無料が先か

西野氏はおおむね正しいことを言っていますが、一点、完全に勘違いしたことを言っていると思います。

これから、無料化できるところから無料化していって、『お金』なんて、そもそも存在しなかった時代や、地域で、おこなわれていた『恩で回す』ということをやってみます。

まるで資本主義を打倒するみたいな論説に聞こえてちょっと冷や冷やしますが、はっきり言って僕はこれ、「勘弁してくれ」って思いました。

だって、お金という概念がなくなったら、無料という概念もなくなっちゃうじゃないですか。

先にも述べたように、僕が出している無料お試し版を皆がダウンロードしてくれるのは、多くのコンテンツが有料だからです。

¥500 ¥0

ってわざわざ書いた方が、みんな「お得!」って感じてくれるじゃないですか。

お金があるおかげで僕たちは無料コンテンツを強みにすることができます。
コンテンツの無料化とは要するに、資本主義の神様の手のひらの上で起きている出来事です。
無料コンテンツはお金の奴隷を開放することはできません。無料コンテンツという存在そのものがお金の奴隷なんです。

西野氏は「資本主義の中で無料にすることの正しさ」と「お金のない世界を作り出すことの正しさ」を混同してしまっているのではないでしょうか。
自分たちが資本主義の手のひらの上に居るなんてこと、普通に暮らしていればあまり自覚することもありませんからね。無理もありません。

もしお金のない世界を望むのであれば、アメリカで行われているバーニングマンというイベントに参加したらいいのではないでしょうか。

フーリガンがバーニングマンの「セレブ御用達」キャンプサイトを襲撃 - FNMNL (フェノメナル)

これ見よがしに金のかかる設備を持ち込んだセレブたちが、暴徒の襲撃を受けて大混乱なんて世紀末な出来事とかも起きてます。
僕はお金あんまりないけど、それでもお金のある世界の方がいいなって思いました。

西野さんってむしろお金好きなんじゃない

ブログ何度か読み返してみましたが、西野氏、例のブログの中で実に21回も「お金」という単語を使っています。
嫌いなものをこれだけ何度も打ち込むなんて、正気の沙汰じゃねえなって思います。

そもそも氏は、クラウドファンディングで資金を集めたり、自費購入をして見せたり、お金を使ったパフォーマンスがかなり派手です。
それは彼が芸能活動の中で勝ち得てきた信頼が、お金という形に一回変換されているからこそ、できることなんでしょう。

だったら、もう『お金』なんて要らないです。
僕とあなたの間から『お金』を取っ払います。

改めてみるとこの部分、誰がどう見ても嘘くさいですね。
カッコつけようとしすぎて言わないでいいこと言ってしまった感が拭えません。
正直これに関しては失言だったと思います。
炎上し始めた段階で、「やっぱお金は必要です!」って手のひら返して言っちまったほうがよかったんじゃないかなあ。

お金があるからこそ無料化できる

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この記事で西野氏は「入り口を無料することの正しさ」を切々と説いています。

僕自身、無料版を出したことでさらにお金が儲かった人間なので、この発言の意味するところはとてもよくわかります。
ですが、一つ間違えてほしくないのは、無料化すればだれでも儲かるというわけではありません。

全てのコンテンツが無料の入り口を作れば、宣伝や広告にお金をかけられる体力のある企業、つまりは強者が余計に勝つような激しい競争を生みます。
この記事で反論をしている声優の明坂さんのいるアニメ業界は、そんな疲弊が積もり積もって崩壊寸前の状況に追い込まれている代表的な業界です。

僕が自分の作品を無料公開しているのも、あくまでちゃんと食える本業があって、その本業で得た稼ぎと時間を投じれることから、無料化できているというだけです。
さらに言えば、僕は一度商業作家としてデビューした経験があるので、無名の素人さんたちに比べると格段に有利な状況で個人出版活動をしていますし、それを自分の強みとして利用しています。

兼業で余暇を使って文字を書いてるだけの僕はまだいいですが、業界全体が無料化のチキンレースを続けていけば、さらに自分たちを苦しめることになるでしょう。
最後に残るのは、もっともお金を稼いだ強い資本を持つ企業だけで、弱い人たちは誰も残らなくなるだろうと予想できています。
僕はそれを理解して、強者の側として、弱者を殺す覚悟をもってこの活動を続けています。

また、無料の商行為というのは課税対象とならず、よって富の再分配の対象にもなりません。
お金を儲けている企業が課税を受けない無料サービスを続けれれば、もっとマクロな視点で見れば社会格差は広がります。
そういう弱者を切り捨てる流れを肯定して受け入れるべきだというのは、強くなれない人間は死ぬしかないと言っているのも同じです。

西野さんの最大のミステイクはずばり、「無料化という強者の行い」と、お金のない子供を助けるという「弱者救済の美談」を同時に掲げてしまったことでしょう。
自分のお金に執着する汚い部分を炎上で焼いてもらえて、一番救われているのはご本人なのではないでしょうか。

もっと言えば、お客さん向けるべきパフォーマンスと、同業者に向けるべき本音の部分の話を、一度にやろうとしてしまったのが失策だったなって思います。
「金がもっと欲しいから無料化した」「更に儲かればもっと面白いことがたくさんできる」「だから俺はもっとお金が要るんだ!」
ここまで露悪的に言う必要こそありませんが、そんなことみんなわかってることですしね、正直。