Funny-Creative

たのしいことがしたいだけ

「キャラクターさえ居れば作者は誰でもいいよね」という風潮を後押しして作者を無自覚に殺してきたオタクたちが嫌いという話

放送開始前から原作ゲームがサービス終了となり、「第2のカブトボーグ誕生か!?」と界隈を騒がしていたものの、オタクたちの下馬評を覆し一躍大人気アニメへと躍り出た『けものフレンズ』。
その2期についての衝撃発表に、ネット上がかなり騒然となっておりますね。

僕も作品のファンとして純粋に残念に感じる部分もあるのですが、ふとネット上の反応を見ていて首をかしげたくなる意見が散見されます。

それは、作者が別人になってしまったら同じ作品とは言えないという前提を、当たり前のように皆さんが共有している点です。

「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、よくよく考えてみれば僕たちは、原作者が描いていないキャラクターたちを日常的に目にし、そして受け入れています。

たとえばあなたの好きなゲームがアニメ化したとき、その〝アニメ内に登場するキャラクター〟と、〝ゲームに登場するキャラクター〟が、同じ人物だと感じる理由は一体なんでしょうか。
日頃愛情を持ってゲームで使用し、自分の中でいろんな性格やドラマを作り上げてきたキャラクターが、画面の中でアシカみたいな声でわめきながら走り回る頭の残念なおともだちになっていたとしましょう。
そのキャラクターを、同一人物だと感じられる人たちの感性に、僕はちょっと疑問のようなものをいつも感じていました。

話は横にそれて、僕はガンダムシリーズがまあ半分ぐらい好き、半分ぐらい嫌いで、おおむね見ているんですが、
『新機動戦記ガンダムW』という作品において、監督が途中から高松監督に交代するという驚くべき事態が起きています。
僕がこの話を知ったのは、作品を見終わってからしばらく経ったあとで、正直まったく気づいていませんでした。

確かにちょっと言われてみれば、話の展開が急に変わったかとも思うんですが、そもそも作品が最初から最後まで突拍子のない展開の連続だったので、
なんか「そういう作風だ」と言われてしまったら、別に気にするほどのものでもなかった気がします。

逆に、僕は『機動新世紀ガンダムX』という作品がとても好きで、この作品が好きな理由の一つに、シリーズ構成の高崎ヒロユキ氏の存在があります。
一般的なアニメは脚本が毎回別の人に変わって、ストーリーラインだけは一人の人間が一貫してシリーズ構成として管理しています。
ところがガンダムXの場合、予算の関係か、脚本は最初から最後まで川崎ヒロユキ氏が一人で全話手がけております。
これが結果的に、話に一本筋を通していて、ぶれることのない丁寧なストーリー作りにとても感銘を受けておりました。

今回話題になっている『けものフレンズ』においても、脚本家は別におられるものの、大本のストーリーについてはたつき監督が一貫して行っていたと、
雑誌のインタビューや脚本家さんのTwitterで明らかにされており、作品にとって監督が必要不可欠な存在であったことはよく知られています。

ところが、キャラクター単体に切り分けて作品を見てみるとどうでしょう。
僕たちは普段から、ニコニコ動画のMADで、Twitterに流れてくる短編漫画で、コミケで売られている同人誌で、
作者が携わっていないキャラクターたちを、同じキャラクターだと認識して、愛情を注いでしまってはいないでしょうか。

確かに監督が交代したことによって、作品の性質やクオリティーに若干の変化は起きるでしょうが、
おそらく僕たちオタクはきっと今後放映される2期を目にしたとき、「このキャラクターたちは1期のキャラクターたちとは別人だ」と感じられるだけの感性を持ってはいないと思います。

僕はそもそも一次創作者として、二次創作に対してとても否定的で、それは自分たちを殺す存在であることをよく知っているからです。
誰が書いてもそのキャラクターだと判別できるだけの個性を生み出すことがキャラクターとしての完成であるなら、その創作者が必ずしも書く必要がなくなるという作者の死も同時に生み出しています。
優れた作家というのは常に自分を殺すための武器を生み出し続けていて、だからこそ他人が勝手にそれを使ってはいけないものだと考えています。

正直僕は、TwitterのTLに流れてくる数々の二次創作を、気持ち悪いなと思いながらいつも眺めています。
気持ち悪いと感じるのは、作者の血が流れていない二次創作のキャラクターたちのことを、原作のキャラクターと同じ人間だと、なんとなく感じてしまう、自分自身の感性に対してです。

もちろん『けものフレンズ』に関しても、デザインしたのは吉崎先生ですし、設定についても原作のゲームを作った方達が生み出したものです。
ただ、アニメとして表現され、視聴者を魅了した要素の多くは、たつき監督がストーリーの中で描いてきたキャラクターたちの性格や言動、ドラマにもあったでしょう。

キャラクターのデザインも、しゃべり方も、性格も、特徴も、生い立ちも、全てはクリエイターが身を削って作り出した財産です。
それらを誰もが当然のように躊躇なく利用し、受け入れている現状において、「キャラクターを利用していいのは生み出した当人だけだ」という言葉は、言うには遅すぎると僕には思えます。