Funny-Creative

たのしいことがしたいだけ

僕が高校生だった頃ライトノベルは面白かった

別に今のラノベが面白くないとは言っていない。
なぜなら大学を卒業して就職して以来、ラノベを一切読んでいないしアニメ化作品すら見てもいないからだ。

前回このような記事を投稿してみたところ、思った以上の反響をいただいた。

funny-creative.hatenablog.com

少々エキセントリックなタイトルなので、批判を受けるかもしれないと危惧していたが全くの杞憂だった。
そもそもファフナーという作品自体が対話の重要性を説いている作品なので、本文を読まずにいきなり殴りかかってくるファンなど最初から居るわけはなかったのだ。心配しすぎだった。

書いてみて気が付いたのは「大人向けの作品を子どもが楽しもうとしても難しい」という結論だった。
そしてこれは、裏を返せば「子ども向けの作品を大人が見ても楽しめないのは当たり前」という意味合いも含んでいる。


僕は高校の頃、ラノベも漫画もアニメも大好きだったが、悲しいことにあまりお小遣いがもらえていなかった。
なので1本50円で借りれるレンタルビデオで死ぬほどアニメを見まくるのが習慣で、ラノベや漫画は基本的に借りてばかりだった。

どんな趣味にも、その道のツワモノという存在が居るもので、彼らは日夜玉石混淆の中から素晴らしい一粒を探し出して僕たちアンテナの低い人間に珠玉の一作を教えてくれる。
彼らが百冊の中から選ぶ一冊は、聞いたこともないようなタイトルばかりだったが、どれも面白い作品ばかりだった。

もちろん、シャナとかハルヒとか後にアニメ化されたような、いわゆるスタンダードな作品もたくさん読んでいた。
ラノベ作品のアニメ化も好きだったし、アニメを見てから原作を読み始めることもしょっちゅうあった。
だがどちらかというと、“ラノベ読み”が選び出したラノベの方が個人的には好きだった。
大抵そういった作品は色気がないせいか、途中で打ち切られてしまうことも多かったのが残念だ。

閑話休題

そして受験が終わり、大学に入って憧れのラノベ作家になろうと作品応募を始めた頃、ふと一つの違和感に気づいた。
何かこう、ライトノベルを読んでいても昔ほどときめかなくなってしまったのだ。
アニメ化された作品を見ても大して楽しめないし、むしろ意識的に視聴リストから外すようにすらなっていた。

大学生になってから好きになった作家と言えば、乙一とか京極夏彦とか伊坂幸太郎とかスティーブン・キングとかだ。
そして豊富な蔵書を持つ大学近くの図書館に通って、銀背の古典SFも読み始めた。
書庫の奥から司書さんが持ってきてくれる、黄色くボロボロになった紙の放つ、ツンとすえたカビの匂いにいつも心が躍った。
間違いなく活字を読むこと自体は好きなままだった。むしろバイト代を稼げるようになった大学生からの方が、より多く本を読んでいた。

要するに、歳をとって趣味が変わってしまっただけだった。

もちろん探せば良いラノベはたくさんあったはずだったと思うが「新人賞の参考のため」と有名作ばかり読んで、趣味の本は探していなかった。
SFの棚と、大学の新書の棚を探せば僕の読みたい本はいくらでもある。膨大なラノベの棚から血眼になって探す必要は無い。
ラノベを読むのは単にシナリオの勉強のためとしてで、心はすっかり放れてしまっていた。

僕が高校生の頃、ラノベは本当に面白かった。
僕が高校生でなくなってしまったから、ラノベが面白くなくなった。

honeshabri.hatenablog.com

以前こういったエントリーがSNS上でかなりバズっていたが、なんだか自分がラノベを読み始めた頃から随分時間が過ぎてしまったと感じた。
10年経ってすっかり時代が変わってしまったのだろう。時代と共にラノベは、より中高生向けに進化したのだ。

もし僕が10年前、初めて触れたラノベがこういったものだったら、「こういう作品がラノベなんだ」と認識して、好きになっていたはずだ。
ライトノベルは結局「中高生に向けて書かれた作品」であり、「中高生が喜ぶならそれがライトノベルだ。

もちろん、昔の作品だって面白い。素晴らしい作品はたくさんある。
だが、こうした作品群と「どちらがより読者を喜ばせられるか」という話になればどうだろう。
ライトノベルから遠ざかってしまったのは、最近の作品ではなく昔の作品では――というのはいささか過言か。

若い頃の心をすっかり失った、対象年齢ではない僕たちが、外野からとやかく言っても仕方がない。
わざわざ子ども向けのホビーアニメを見て「オモチャで世界征服するなんておかしい」と言い出すようなものだ。
全てのアニメが自分たちに向けて作られていると思うなら、それは傲慢である。

中高生が喜ぶサービスを提供するのがラノベ作家の役割であり、サービスシーンは付加価値でなく必須要件となりつつある。
それを楽しめないなら見るべきでないし、それを提供することに意義を見いだせないのなら書かなければ良い。

「開始三分でヒロインが脱ぐ作品がライトノベルだ」と認識している今の中高生に対して、自分の作品をライトノベルとして出す自信が無くなってしまった。
一度は「ライトノベル」として商業出版された作品を、個人作品として出し直すのに際して、「SF」というカテゴライズに改めたのはそういった心境からだ。

もちろん、「10年前だったら今より売れていた」というほど、傲慢な考えは持っていない。
だが憧れていたラノベの本棚に自分の本が置かれることになったとき、10年前見たいと思った景色ではないと感じてしまったのは事実だ。

追記
とはいえ僕の作品をラノベとして購入したうえで、好きだと言ってくれる若い読者も意外だがかなり居る。
それはこの上なく嬉しいことだが、最近は彼らにあらぬ勘違いを芽生えさせてしまったのではないかとむしろ不安だ。