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Funny-Creative

たのしいことがしたいだけ

一つの作品が生まれる確率と死ぬ確率

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先日「打ち切られた作品の続きはもう書かないんですか?」というメールをいただいた。
活動履歴を見てもらえばわかる通り、僕は結構色んな作品を今まで書いてはきたものの、実は一つも完結させたことがない。

創作履歴 - Funny-Creative

確かに1冊の作品としては完結しているが、それでも内容としては長大な物語の第一話といった色合いが強い。
風呂敷を広げるばかりで畳めた試しがないのだ。

僕がまだプロ作家だった頃なら、当たりさわり無く社交辞令として「応援してもらえればそういう可能性もあるかも」とか言えた。
だが僕はもうプロではないし、上手にウソを付ける性格でもない。だから正直に答える。
作品とは生き物なので、一度死んでしまえば生き返ることはない――と。

これまで敢えて目を背けてきたが、問いかけられてみたことでこの事実に正面から向き合う機会が得られた。
どんな作品も完結できるチャンスは生まれたその瞬間にしか与えられないのだ。

一つの作品が世に生まれる確率

仮に「こういう物語を見たい」という欲求があったとする。
この欲求を叶えられる作品が世に生まれる可能性は、一体どれほどだろう。

まず偶然にも同じような欲求を持つ人間が、世の中のどこかに居たとする。
更にその中で、作品を形にできる意欲を持った人間はどのぐらい居るだろう。
そして偶然同じ趣向を持ち、創作意欲を持った人間が、作品に取り組むための時間的金銭的余裕を持っている確率が次に隔たる。
自分も、創作にもっとも集中していられた時期は、学生という時間に余裕と体力に余裕がある限られた期間だけだった。
社会に出てからはどちらも著しく激減している。

個人的な話だが、働きながら書くというのは思ったよりもしんどい。
書けないストレスで体調を崩してしまったり、書く時間を確保するために誘いを断らざるを得なかったことも多い。
兼業作家は“書かなくても食える”どころか“書かない方が食える”だったりする。

ならば専業作家やライターなどの自由業の人間だったらどうだろう。
“書かなければ食えない”人間にとって、本になるかどうかも分からない趣向に傾けられる時間はよりシビアだ。
商業作家だった頃、「自分にしか書けない作品を書きたい」と熱く語っていた同期たちは、気が付けばノベライズの仕事や流行ジャンルの作品ばかり書いている。

とにかく世に出ない作品というのは、書ける作家に巡り会えるだけでも奇跡的だったりする。

書かれた作品が世に出られる確率

仮に一つの作品が書かれたとして、世に公開されるまでにも多くの障害が隔たる。

自分が書き始めた頃は“新人賞に応募して受賞する”という手段がオーソドックスだった。
応募数はどれだけ少なくても数百、多い所で数千。数多くの作品の中から選ばれなくてはならない。

作者に充分な能力が備わっていなければ、生み出される作品にとっては不幸だ。
受賞するために様々な努力を積み重ねてきたが、そのおかげで努力していなかった頃より完成度の高い状態で作品を作れるようになった。
自分が作品の作者に足ると証明するための場だと考えれば、このシステムへの不満は特にない。

ちなみに中高生に人気と話題の『小説家になろう』だが、実は書いてる方も時間に余裕があって読者と趣向の似た中高生が作品を書いているのではないかという噂がある。
真偽のほどは定かではないが、とにかく時間と体力に充分余裕のある人間が、簡単に作品を世に送り出せる手段ができたことは喜ばしいと思う。
受けるジャンルはかなり限定されているため、全ての作品が平等に読まれるわけでもないが、そこで発表する是非は当人の問題でしかない。

ともかく受賞するにしろ、web小説に書籍化の声がかかるにしろ、何らかのかたちで書籍化の扉が開いたとする。
だがその後も改稿だったり改案だったりと、様々な過程を更に経ることとなる。
「受賞したものの改稿の途中で折れてしまった」受賞作家や、「書籍化の声がかかったが人に口を出されることに耐えられなくなった」というweb作家もたまに居るらしい。

もちろん商業作家だとしても、新作を出すために多くのハードルを越えなければいけない事実に変わりはない。
とにかく幾つもの細い糸をいくつもつないで、こうしてやっと作品は出版されることとなる。

作品が打ち切られない確率

こうしてやっとの思いで一つの作品が世に出てくる。
既に気の遠くなるような低い確率を潜り抜けてきた一作だが、これでやっとスタートラインに立てたに過ぎない。

ライトノベルならば月に100作近い新刊が出版される。
新作の割合は時期によって大きく変わるが、どれだけ低く見積もったとしても年間数百作という計算だ。
この中でいったい何作が早期完結の壁を潜り抜けて、理想通りの完結を迎えることができるだろうか。
毎月何作ものラノベ原作アニメが放映されている。多くの人間にとってはそれらだけが『ライトノベル』だろう。
だが、その何十何百倍も近い作品が発売したその月に打ち切られて消えているのが現状だ。

しかもこれは、新人賞を受賞してデビューした作家だけに限った話ではない。
web発作品として書籍化したものの、2巻3巻と続くうちに売上が落ちていけば、結局勝負する土俵は同じだ。

もし彼らがまた作品を世に送り出そうとしたとき、出版社は彼らの書いた作品をそのまま本にするのだろうか。
おそらく「web上で数字を稼いでから」と言われて、これまで辿ってきた細い糸をまた繋ぎ直すことになってしまいかねない。
これはあくまで私見だが、一度でも作品で金を稼いでしまった人間が無料で書くのは正直かなりしんどいと思われる。

生み出された作品の期待値

そもそも、どんな作品でも書かれた時点で「このぐらいの結果が出るはず」という期待を孕んで書かれている。
この期待が達成されなかったとき、初めてその作品は失敗と見なされる。
人によってスタンスは違うかもしれないが、商業であっても同人であっても同じ理論が当てはまると思っている。

例えば同人として書くなら「読者が○○人ついたら成功」という、個人的な満足感を糧として書き始めることだろう。
そして目標を達成するうちにハードルは次第に上がっていく。
次は「ポイントを稼ぐ」。その次は「ランキングに載る」。そして「書籍化される」といった具合だ。

だがここで一つ恐ろしいことに、一度上げてしまったハードルを後で落とすというのは、なかなかできないものだ。
極端な話、一度でも「書籍化される」というハードルを跳んでしまった人間が「ランキングに載る」というハードルで満足するのは難しいだろう。
先述した“一度でも作品で金を稼いでしまった人間が無料で書くのはかなりしんどい”というのはこの知見に基づく者だ。

そして商業作品はビジネスとして多くの人間が関わる以上、ハードルの高さは作者の意思に関係なく設定されることになる。
編集の一存だけにとどまらず、編集部全体の判断や営業部門流通部門の思惑などが絡んだ結果、作者の意図のはるか遠方でハードルの決定が行われる場合も多い。
「初週一週間位内でウン千冊の売上を達成する」とかがそれである。
ハードルの設定に関して、もはや作品の内容は考慮されていない。

しかも出版不況や出版点数の増加が相まって、設定されるハードルは年々高くなっている印象がある。
個人的な満足に合わせてくれるほど世間は甘くはない。
どれだけ作者が「まだ負けてない」と思っても、設定されたハードルを跳べなければその作品は失敗作という烙印を押されてしまう。

作品はいつどうやって死ぬのか

長々と語ってきたが、ここでそろそろ本題に戻ろうと思う。

「失敗」と見なされてしまった作品に残された選択肢はせいぜい二つ。

一つ目は期待値を満たせなかった作品だと認めてしまうこと。
自分はデビュー作が打ち切られたとき、今後もプロとして続けて行くために商業の高いハードルを受け入れた。
確かに書きたかった続編の構想はたくさんある。自分の実力が届かなかったことに対する悔しさもある。
だが一度情熱に水をかけてしまった以上、再び火を点け直すのは一度目以上に難しい。

二つ目の可能性は、自分自身でハードルを設定し直すことである。
年々高くなっていく商業のハードルについていけず、かといって自己満足という低いハードルに甘んじることもできない。
0か100かしかなかった一次創作の場に、電子書籍という可変数の登場は自分にとってかなりの好機だった。

商業で続刊が出せなくなった『アーマードール』を電子書籍で完結させようとしているのは、この選択によるものといえる。
とはいえ、あくまで“ハードルを身の丈に合わせて設定し直した”というだけで、“ハードルがなくなった”というわけでは決してない。
設定したハードルを超えられるか、超えるためにどんな努力をすべきか、下手をしたら商業活動のとき以上に不安は多いぐらいだ。
期待を持たず、惰性的に“死んでいない状態”を維持するのは作品に対しても読者に対しても不誠実だと思う。

一度死んだ作品は生き返れるか

今回いただいたメールのように「なんでアマドルだけ特別扱いなの?」という疑問を持たれていた方は、僕が気づかないだけでもしかしたら結構いたのかも知れない。だとしたら申し訳ない。
「作品に対する火を消す前に、電子書籍という生存の道が運良く見つかったというだけ」というのが自分の中で出た回答だ。

一度自分の中で終わらせてしまった作品を蘇らせるのはかなり難しい。
どの作品も本気で書いているからこそ、本気になれなければ書けない。
自分は並行して何作も書けるタイプではないので、全ての作品にチャンスを与えることが残念ながらできない。
第一に今手を付けている作品を完結させること。次に電子書籍が継続して活動していける場だと確信できること。
この二つが次の作品を出す為の必要最低条件だと思う。
その日がくるのが、十年後になるか二十年後になるか分からない。
下手をしたら作者の方が先に死んでいる可能性がある。

作者が生きていても作品が生きているとは限らないし、作品が生きていても作者が生きているとも限らない。
奇跡的に一致した作品だけが円満な生涯を遂げることが出来る。

自分だけに限らず、どうか今この瞬間に生きている作品に目をかけてあげてほしい。
その作品が打ち切られたとき、同じ作品が生まれるという奇跡は二度起きないのだ。

それでも生まれてしまう完結できない作品

最後に。この問題は僕の個人的な悩みに留まらないのではないかと思議している。

簡単に言うと「一度書籍化されたweb作家が、作品が打ち切られたときその作品をどうするか」という問題だ。俗にいうエタである。
そもそも完結すること自体が稀なweb小説において、完結が期待されている可能性はかなり低い。
おそらく打ち切られれば、あっさりと次の作品に移る作家の方が大多数だろう。
だが彼らも読者から「前作の続きを書いて欲しい」と乞われる場面が来るかもしれない。
もし乞われるままに再び書き始められる人間が居れば、自分は一人の作家としてその人間のことを尊敬したいと思う。

元々無料媒体で公開していたものだから、たとえ打ち切られたとしても最初の状態に戻るだけだ。
以前と同じように連載を再開して欲しいと思うのが一般的な読者の感覚だろう。
だが今回自分が打ち明けたように、一度打ち切られた作品を再開させるというのは決して簡単な話ではない。

彼らが種を蒔く畑を求めるとき、「自分で耕せ」と鍬を貸すことぐらいの助力ができればと願う。